Akimasa Net >> 日本の薬害・公害 >> 塩野義製薬株式会社

塩野義製薬株式会社

http://yakugai.akimasa21.net/fwd3/shionogi
(本ページの短縮URLです)
最終更新日:2015-08-29 (土) 06:01:22
a:7452 昨日:3 今日:1

ある医薬情報担当者の半生
『塩野義製薬MR生活42年』← リンクあり
団塊の世代一代記 その参
2015年4月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
本ページの完成版として、上記書籍を出版しています。

はじめに

塩野義製薬株式会社は、日本の医薬品製造販売メーカーの一つである。創業は1878年(明治11年)であり、本社は、江戸時代からの薬問屋街である大阪・道修町(どしょうまち)にある。注:しおのぎ・せいやく、英称:SHIONOGI & CO., Ltd.

社名の由来は、創業者の塩野義三郎(しおの・ぎさぶろう)にちなんでいる。その商標の分銅マークは、1909年(明治42年)の登録である。分銅は、薬量を天秤で正確に計量するために用いられるものであり、そこに、「正確」、「正直」そして「信頼」のメッセージを込めている。

ところで、社名表記では「シオノギ」あるいは「シオノギ製薬」といったカナ書きも常用されている。これらの表記は、三代目社長・塩野孝太郎就任(1953年)以来慣用的に用いられているものである。

初代・塩野義三郎

塩野義製薬(株)は、1878年(明治11年)3月17日に、大阪・道修町にある現在の本社地にて、薬種問屋「塩野義三郎商店」として誕生した。なお当日は、創業者である塩野義三郎満24歳の誕生日にあたっていた。

ところで、創業時の正式な店名は「塩野義三郎」(個人名のみ)であった。ただし、同社史『シオノギ百年』(1978年発行)などでは、個人名と店名を区別するため、薬種問屋「塩野義三郎商店」と表記している。

塩野家のルーツは、旧・摂津国西成郡海老江村(現在の大阪市福島区海老江)の大百姓、松中家にある。義三郎の祖父・初代吉兵衛は同家の三男であり、1789年(寛政元年)、道修町の薬種商「塩野屋藤兵衛」家に12歳で奉公に出る。そして、1808年(文化5年)、塩野屋藤兵衛の別家として、塩野屋吉兵衛を名乗ることとなる。いわゆる”のれん分け”である。

なお、名字を”塩野”姓としたのは、続く二代目吉兵衛の時、1872年(明治5年)のことである。その吉兵衛の三男が義三郎であり、父から分家独立して薬種問屋「塩野義三郎商店」を創業した。

初代・塩野義三郎は、1920年(大正9年)に隠居して塩野義一と改名。その後を、長男の正太郎が継いで二代・義三郎を襲名、二代目社長となる。三代目社長には、二代・義三郎死去(1953年、昭和28年)に伴い、塩野孝太郎が就任する。孝太郎は、初代・義三郎の二男・長次郎(1931年死去)の長男である。

和漢薬問屋から洋薬専門メーカーへ

塩野義三郎商店は、当初、和漢薬専門問屋として出発した。しかし、明治維新後の西洋医学普及に伴い、洋薬の需要は急速に高まっていた。そこで1886年(明治19年)、和漢薬専門から洋薬のみを取り扱う方針に切り替える。

洋薬切り替え後は、商社機能を高めて、外国から優れた商品を輸入する努力をするとともに、自ら医薬品の製造も試みるようになる。そして、1909年(明治42年)には、自家新薬第一号である「アンタチヂン」(健胃制酸薬)の製造販売を開始している。

その翌年の1911年(明治44年)には、1909年にドイツで開発され、翌10年に学会発表されたばかりの「サルバルサン」(梅毒治療薬)をいち早く輸入販売している。

サルバルサンは、後に「抗生物質のシオノギ」とまで言われるようになった同社感染症治療薬の第一号であり、優れた商社機能が発揮された結果導入されたものである。

工場竣工および法人化

最初に造った工場は、相生町工場(1892年、明治25)である。その後、1910年には、塩野製薬所を造って相生町工場の設備を移している。さらに、1921年(大正10年)および翌22年には、浦江試験所と杭瀬工場を建設している。なおその間、赤穂市に設立した岩井製薬所(1916年)を、翌年には塩野製薬所赤穂分工場としている。

  • 相生町工場
    旧・大阪市北区相生町(現在の大阪市都島区片町)
  • 塩野製薬所
    旧・大阪府西成郡鷺洲町海老江(現在の大阪市福島区海老江)
    後に淀川工場となり、1949年閉鎖(売却)
  • 浦江試験所
    旧・大阪府西成郡鷺洲町浦江(現在の大阪市福島区鷺洲)
    後に同敷地内に新研究所設置(1961年)
  • 杭瀬工場
    旧・兵庫県川辺郡小田村今福(現在の尼崎市今福)

工場の建設拡充とともに、販路を全国に拡大するための営業活動を展開。1919年(大正8年)の組織変更による株式会社塩野義商店(法人化)を経て、1943年(昭和18年)に現社名に改称、総合的な医薬品製造販売メーカーとしての基礎を固めた。

ペニシリンの開発失敗からシノミン(サルファ剤)創製まで

第二次世界大戦直後、製薬業界の花形商品となったのは、抗生物質・ペニシリンである。各社の激しい競争の中で、シオノギも同様に開発・製造に着手した。しかしながら、発酵技術が未熟であったことや資金不足などから、1949年(昭和24年)になって、やむなく開発を断念した。

自社でのペニシリン開発こそ頓挫したものの、抗菌薬そのものの基礎研究はそれ以降も継続して行われた。そして、1953年(昭和28年)には、マクロライド系抗生物質のアイロタイシンを、イーライ・リリー社(米国)から導入して自社で製品化した。

そしてついに、自社研究所において新たな抗菌剤・持続性サルファ剤シノミン(スルファメトキサゾール)を創製することに成功し、1959年(昭和34年)に販売を開始した。

シノミンは、翌1960年(昭和35年)には、ロシュ社(スイス)へ技術導出された。そしてその後、同研究所とウエルカム社(現 グラクソ・スミスクライン)研究所(英国)の合同基礎研究によって、新たにST合剤(バクタ:スルファメトキサゾール・トリメトプリム製剤)として創製され、今日まで世界中で広く使われている。

ST合剤は、2012年8月(平成24年)には、公知申請(製造販売承認事項一部変更承認申請)によって、「ニューモシスチス肺炎の治療及び発症抑制」の「効能・効果」および「用法・用量」が追加承認されている。

  • シオノギの技術導出第1号
  • 医薬品インタビューフォーム「バクタ配合錠・バクタ配合顆粒」2012 年10月改訂(改訂第11版)塩野義製薬株式会社

プレドニン(プレドニゾロン)の導入

シオノギでは、新たな抗菌剤シノミンの開発をしている間に、非常に重要な医薬品を海外から導入している。プレドニンとリンデロンである。

プレドニン(一般名:プレドニゾロン)は、合成副腎皮質ホルモン製剤の一つである。アメリカ・シェリング社(米国)が開発し、1955年(昭和30)に、シオノギと技術援助契約を締結することによって、日本国内に初めて導入されたステロイド剤である。

ステロイドは、抗炎症作用や免疫抑制作用など様々な薬理作用を有している。したがって、数多くの疾患の治療に幅広く用いられており、臨床各科において、いまだに最も基礎的な薬剤の一つとなっている。

ちなみに、日本の診療ガイドラインや治療指針、あるいは手引きを調べてみると、70余りのガイドライン等で、ステロイドが治療薬の一つとして記載されている。注:「ステロイドへの取組み」『What is SHIONOGI(第3集)』SHIONOGI & CO.,LTD.(2011年12月)、pp.10-3.

なお、副腎皮質ホルモン(ステロイドホルモン)に関する研究は、1950年度ノーベル生理学・医学賞を受賞している。

不足:リンデロンについて言及。

様々な薬理作用⇒プロパーからDm(ディテール・マン)へ

セフェム系抗生物質の導入

「抗生物質のシオノギ」を支えたのは、主としてセフェム系抗生物質である。

-未完-

思い出の商品

ケフラール

第二世代セフェム系抗生物質(内服)

その他、フルイトラン、塩酸バンコマイシン、トリルダン、クレストール、ピレスパなど

-未完-