サリドマイドの誕生(西ドイツ&日本)

2022年4月17日

紙の書籍『サリドマイド事件(第三版)』(アマゾン・ペーパーバック版:POD版)を出版しました(2023年2月20日刊)。内容はKindle版(第七版)と同じです。現在の正式版は、アマゾンPOD版(紙の書籍)としています。(最新:2023/02/25刷)

POD版、Kindle版共に、Web版よりもきちんとまとまっています。(図版も入っています)

Web版の方が分量の多い箇所も、一部あります。ただし、Web版は全て〈参考資料〉の位置付けです。このWebをご覧いただく際には、〈未完成原稿〉であることをご了解くださいますようお願いいたします。

睡眠・鎮静剤「コンテルガン」(西ドイツ)

コンテルガンの製造販売元グリュネンタール社

サリドマイドは、最初、チバ製薬(スイス)でグルタミン酸誘導体として製造(1953年)された。しかし、薬理作用がないということで開発は中止されていた。(以下主として、栢森1997,pp.6-12参照)

サリドマイドを改めて合成したのが、グリュネンタール社(西ドイツ、当時)である。同社は、1954年5月に特許を出願し、臨床試験を経て、1957年10月1日(昭和32)、睡眠薬・精神安定剤として「コンテルガン(Contergan)」の名前で販売を開始した。

サリドマイドは、従来から使用されていたバルビツール酸系睡眠薬とは系統の異なる薬剤である。

その特徴は、即効性があり、朝の持ち越し効果が少ないというものであった。また、呼吸抑制作用が弱く、大量に服用しても致死的でないので、自殺目的には使用できないと考えられた。

そこで、同薬の副作用として多発神経炎が問題となるまでは、西ドイツでも大衆薬(医師の処方箋を必要としない)として取り扱われ、最も人気の高い睡眠薬となった。

サリドマイドは、提携会社を通じて世界中(46か国)で販売された。その内訳は、欧州11、アフリカ7、アジア17、さらに西半球11か国に及び、各国でそれぞれ異なった商品名で販売された。また、そのほかの薬との複合剤としても幅広く使用された。

そのため、サリドマイドの催奇性が全世界のマスコミで取り上げられるようになってからも、自分の処方している薬にサリドマイドが含まれていることを知らない医師がいた。まして、一般市民では気付きようもなかった。

なお、フランス、米国及び東欧諸国(東ドイツ、旧ソ連など)では発売されなかった。

注)アマゾンKindle版には図表が入っています。

アマゾンKindle版『サリドマイド事件(第7版)』(最新:2023/02/25刷)

イソミン、製法特許を主張(日本)

大日本製薬(株)、グリュネンタール社とは異なる製法を採用する

日本のサリドマイドは、大日本製薬(株)が、薬学雑誌に掲載されたグリュネンタール社の文献にヒントを得て、独自の製法を用いて合成を行い特許を出願した。

物質特許ではなく製法特許を主張したのである。そして、1958年1月20日(昭和33)、「イソミン」の名前で販売を開始した。

注)製法特許主義とは、同じ化学物質であっても、製法さえ異なれば(別の化合物として)特許権を主張できるとする考え方。

なお、日本が欧米並みの物質特許主義に移行するのは、1976年1月1日(昭和51)のことである。そこで当然ながら、当時既に物質特許主義をとっていた西ドイツのグリュネンタール社との間で法的な争いが起こった。

大日本製薬(株)は、イソミン販売開始後にグリュネンタール社との間で技術援助契約を結んだ。さらに、その2年後には技術提携を行い特許問題を解決した。つまり「「日本及び隣接地域」での販売権と技術情報の提供の見返りにロイヤリティーを支払う」ことになった。(川俣2010,p.22)

イソミンは台湾へも輸出され被害を生じた。

薬事審議会と事務局限りの包括建議について

1950年代後半、薬事及び毒物劇物の取扱いに関する重要事項を調査審議するため、厚生大臣の諮問機関として薬事審議会(薬審)が設置されていた。(2001年以降、薬事・食品衛生審議会)

その中で、医薬品の製造許可に関連する組織としては、常任部会、そのほか新医薬品特別部会、更にその下部組織として新医薬品調査会が設けられていた。ただし、生物学的製剤については、生物学的製剤特別部会で処理をしていた。

なお、多数の案件を円滑に処理するため、一定の基準を満たすものは、事務局限り(厚生省薬務局製薬課)で処理を行っており、これを包括建議といった。

ここで一定の基準「以外」とは、「作用がはげしかったり、効能の範囲が社会的問題に大きく関係するような場合」を指すものと理解される。(平沢1965,pp.120-121)

イソミンは、包括建議第八項で処理された

厚生省は、イソミンの新薬申請を包括建議の対象とした。つまり、「(イソミンは)さほど重要な薬とみなされていなかったということになる」。(平沢1965,p.121)

ただし、先進国では既に発売されているものの、日本国内では初めての新薬として、包括建議第八項に該当する医薬品として受理した。

ところがその時、コンテルガン(西ドイツ)はまだ発売準備中だった。当然ながら世界各国のどこでも発売はしていなかった。それにもかかわらず、イソミンの製造販売許可申請書には、コンテルガンが既に西ドイツで販売されているかのような資料が添付されていたのである。

いずれにせよ、イソミンは包括建議第八項に該当する医薬品として、専門家(新医薬品調査会)の審議を必要とした。ただしそれは、あくまでも包括建議の対象としてであり、薬事審議会にかけられることはなかった。

当日の新医薬品調査会では、イソミンと他社品1剤の合計2剤が審議の対象となった。調査資料は1週間前に各委員宛に発送されていた。とはいうものの、審議は2剤合わせてわずか1時間30分程度で終了した。

イソミンの安全性・有効性について

イソミンの特許出願から製造販売許可申請まで、わずか1年足らずしかない。当然のことながら、きちんとした動物実験や臨床試験をやる余裕はなかったものと思われる。

また、大日本製薬(株)とグリュネンタール社との関係は、特許問題を抱えていたこともあって当初から良くなかった。大日本製薬(株)は、グリュネンタール社が持っていたサリドマイドに関する情報を、どの程度入手できていたのであろうか。

グリュネンタール社による発売前の臨床試験では、めまい、耳鳴り、便秘などの副作用報告があった。同社内でも、コンテルガン発売に反対する人たちがいた。そしてその懸念は、発売後に多発神経炎として証明されることになる。

グリュネンタール社では、ヒトにおける薬物動態(吸収、分布、代謝及び排泄)試験は実施していない。動物実験では、急性・亜急性毒性試験は不十分ながら行われたものの、慢性毒性試験のデータはない。催奇形性試験はもちろん行っていない。

いずれにせよ、大日本製薬(株)では、イソミンの有効性・安全性を評価するために必要十分なデータを集めきれてはいなかったと考えられる。それでも、イソミンは製造販売を許可された。

製薬課長(厚生省)の天下りをめぐって

イソミン発売当時の製薬課長(厚生省(当時))は、後に山之内製薬(株)に入社して開発部長になった。それに続いた二人の製薬課長は、退任後、それぞれ中外製薬(株)と藤沢薬品工業(株)に入社した。そして、同じく開発関連の部署についた。なお、それ以前の製薬課長(複数)も、ほぼ同規模の製薬企業に再就職していた。

いわゆる天下りである。

つまり、薬に関する許認可を与える側から、それを求める側に立場を変えたことになる。近い将来天下るかもしれない企業に対して、薬をめぐる審査を公正に行うことが果たしてできるであろうか。

平沢正夫(フリージャーナリスト)は、これを「副意識の中の贈収賄関係」と称している。(平沢1965,pp.181-185)

ところで、サリドマイド訴訟における和解確認書の覚書の署名者の中に、厚生省薬務局長の名前がある。署名にあたって彼は、二度と薬害は起こしませんと誓ったはずであった。しかし、(株)ミドリ十字に天下り、後に社長となった彼は、薬害エイズ事件の当事者として被告席に座ることになった。

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関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第7版)』
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2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)
2021年08月25日(第5版発行)
2022年03月10日(第6版発行)
2023年02月20日(第7版発行)、最新刷(2023/02/25)

本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年1月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)