東京都立築地産院におけるサリドマイド児3例

2022年4月17日

紙の書籍『サリドマイド事件(第三版)』(アマゾン・ペーパーバック版:POD版)を出版しました(2023年2月20日刊)。内容はKindle版(第七版)と同じです。現在の正式版は、アマゾンPOD版(紙の書籍)としています。(最新:2023/02/25刷)

POD版、Kindle版共に、Web版よりもきちんとまとまっています。(図版も入っています)

Web版の方が分量の多い箇所も、一部あります。ただし、Web版は全て〈参考資料〉の位置付けです。このWebをご覧いただく際には、〈未完成原稿〉であることをご了解くださいますようお願いいたします。

はじめに

レンツ警告(1961年11月)に先立つこと数か月前までに、日本国内では、東京都立築地産院においてサリドマイドの催奇形性を疑う症例が2年間で3例発生していた。

そして、その事実はメーカーにも報告されたという。しかし、国・製薬企業は何の措置も取ることはなかった。わが国は、サリドマイドの催奇形性に関して、世界に先駆けて警鐘を鳴らす絶好の機会を逃してしまったのである。

レンツ警告以前にサリドマイドの催奇形性を疑う症例有り

東京都立築地産院では、イソミンを妊娠初期の母親が服用することによって、サリドマイド児を生ずる危険性があることに、レンツ警告(1961年11月)の数か月前までには気付いていた。

そして、その事実はメーカーにも報告された。しかし、国・製薬企業は何の措置も取ることはなかった。つまり、そうした事実のあることが外部に向けて発信されることはなかった。(増山編1971,高橋p.224)

築地産院のイソミン投与例(1959年8月~1961年9月の二年間)については、厚生科学研究班(森山豊・東大分院産婦人科教授)が行った共同調査報告書(75症例)の中で記載されている。(報告書は1963年3月31日に厚生省提出)

ただしそこに、築地産院という具体的な名前は記載されておらず、「わが国のある産院において妊婦111例にサリドマイドが投与され、妊娠5~8週(二ヵ月目)に投与された12例のなかの3例(25%)において奇形の発生を見ている・・・」というようにぼかした書き方になっている。(増山編1971,高橋pp.209-210で引用)

これが築地産院のデータであることは、次の論文で初めて明らかにされた。

すなわち、竹内繁喜,名取光博,柳田昌彦,服部智,内海捨三郎(1963年)「当産院に於ける最近6年間の先天異常の統計的観察と其の原因検討について」,日本産科婦人科学会雑誌,15(9),878-879.である。

同論文が発表された頃には、既に日本国内でのサリドマイド製剤の回収はほぼ終了していた。したがって、同病院のデータが、サリドマイド製剤の販売中止・回収の引き金になることはなかった。つまり、その後のサリドマイド児発症を未然に防ぐ役割を果たすことはなかった。

高橋晄正(東大医学部講師)による処方分析

高橋晄正(東京大学医学部講師)は、築地産院のイソミン連続投与(約2年間)から約10年経過した1970年前後に、改めて被投与患者の病歴調査を行った。

もちろん、築地産院長の許可を得た上で、自らカルテを引っ張り出してデータをまとめ直してみたのである。(増山編1971,高橋pp.209-232、初出:『日本医事新報』第2400号,1970年4月25日)

高橋によれば、築地産院における妊娠中のイソミン投与114例(1959年8月~1961年9月の二年間)は、「各妊娠月に10例ほどずつほぼ均等に分布しているということができよう」(同p.215)という。そして、それらをまとめた森山報告についても、「一ヵ月平均11例で、各妊娠月にほぼ均等に割つけられた計画実験ということも、疑えば疑えるような症例構成であった」(同p.210)としている。

イソミンの発売は、1958年1月(昭和33)である。そして、築地産院におけるイソミンの処方は、翌年1959年の8月から始まっている。

対象は外来及び入院の妊産婦である。妊娠四か月以前の処方理由は、嘔気、嘔吐などの悪阻症状(つわり)に対するものが大部分を占めている。ところが、五か月以後は、感冒などによる咳、高血圧が主となっており、処方された理由が私には分からない。(同p.215)

奇形3例、いずれも死亡

奇形の発生は3例で、いずれも死亡している。(同p.210,215-216)

  1. 帝王切開・生後3日目に死亡(妊娠十か月目、1960年8月)
  2. 自然流産(妊娠五か月目、同年8月)
  3. 人工流産(妊娠七か月目、1961年5月)である

これらの症例でイソミンが投与された期間は、最終月経の第1日目から数えて、1)43~46日、2)44~55日、そして、3)36~42日である(同pp.215-216)。また第4例として、44日目からサリドマイドを服用した可能性のある母親がいるが、正常児を生んでいる。(同p.220)

また、高橋は、1961年5月(第3例の人工流産後)になると、「妊娠第四ヵ月以前の処方はばったりと杜絶え」(同p.214)ているという事実に気付いた。

高橋は、「この資料から危険期を求めるなら最終月経の第1日から数えて36~44日ということになる」(同pp.219-220)として、危険期を狭い範囲に絞り込んでいる。その間の奇形発生率は、確実に薬を服薬したかどうか分からない例(1例)を除いた場合には、3/3=100%となる。

森山報告では、同じ3例について次のようにまとめている。「妊娠第5~8週(二ヵ月目)に投与された12例のなかの3例(25%)において奇形の発生を見ている」(既述)。

この点について高橋は、「漠然と「第二ヵ月」という慣例的な妊娠月によって整理することによって、いかにもサリドマイドを服用してもアザラシ肢症の発生頻度はそれほど高いものではないような印象を与えるままに放置すべきではなかったであろう」と述べている。(同p.223)

高橋晄正の疑問は解消されたか

高橋晄正の築地産院における処方分析のきっかけは、次のとおりであった。(以下引用、同pp.209-210)

  • なぜそのような観察の結果がただちに世界に向けて報告され、警告されなかったのか。
  • 意図的な臨床試験としておこなわれたものであったのか、そうでないのか。
  • どうしてレンツ報告の三ヵ月も前(実は六ヵ月も前であることがあとで明らかとなる)に中止されたのか。
  • 観察がおこなわれた「二年間」という期間には、どのような意味が秘められていたのだろうか。(引用ここまで)

しかし、高橋の処方分析は、実際の処方から約10年後に行われたものである。全ての疑問を解消するには、あまりにも時間がたち過ぎていた。

サリドマイド訴訟をめぐる森山豊教授と築地産院の医師

東京都立築地産院は、東大分院産婦人科学教室(森山豊教授)の関連病院の一つであった。そうした関係からか、築地産院のサリドマイド奇形3例のうち2例は、東大分院の病理で解剖された。ところが、解剖された患者の病歴のみが、後に紛失していることが分かった。不可解である。

森山教授は同教室の主任教授として、3症例について内容を詳しく知ることのできる立場にあった。また森山は、厚生省の依頼を受けて、サリドマイドによる全国規模の被害調査を実施したことがある(後述)。

そうした彼は、後のサリドマイド裁判において、被告側の証人として出廷した。

なお、築地産院の医師は、証言そのものを拒否した。高野哲夫によれば、その理由は次のとおりである。

「学会での発表はあくまでも仮説である。それをいちいち裁判でとり上げられると、研究発表に臆病になってなにもいえなくなるし、新薬の使用もできない。そうなれば医学も発展しない。国民の健康を守る医学、医療の発展のため証言は拒否する」。(高野1981,p.130)

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1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
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本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年1月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)