サリドマイド事件

新型コロナウイルス感染症の巨大な波が襲う中で、催奇形性を有するアビガン錠の追加承認があるかどうか、薬屋としても緊迫したコロナ第2年目を迎えました。

ここでは、薬害というものを改めて考え直すきっかけとして、片平洌彦著「ノーモ ...

サリドマイド事件

新聞広告量とサリドマイド児発生数(高野哲夫グラフ)

高野哲夫(立命館大学)は、中森データを使用して「新聞広告量とサリドマイド児発生数」の経時変化を示したグラフを作成している。(高野1981,p.127)

注)アマゾンKind ...

サリドマイド事件

イソミン販売量が大日本製薬(株)から公表されている

吉村功(名古屋大学助教授)の論文の中に、「大日本製薬が公表したイソミン販売量と奇形児出生数」(プロバンMを除く)の表がある。(増山編1971,吉村p.243)

全国を9つの ...

サリドマイド事件

日本におけるサリドマイド胎芽症の出生頻度(梶井データ)

梶井正(当時、ジュネーブ大学助教授)は、日本のサリドマイド裁判で原告側証人として出廷している(1971年10月、東京地裁)。

その時の尋問で取り上げられた資料の一つに、 ...

サリドマイド事件

ヒトのサリドマイドに対する感受性は極めて高い

ヒトのサリドマイドに対する感受性の強さについて、レンツ教授は次のように語っている。

「西ドイツでの調査によると、外観に異常がなくても、危険期に服用した母親から生まれた児には、必ず ...

サリドマイド事件

サリドマイド新たな脚光を浴びる

1964年(昭和39)、全くの偶然からエルサレム・ハンセン病病院(ヤコブ・シェスキン院長)で、サリドマイドがハンセン病患者に多発する難治性の皮膚炎(結節性紅斑)に劇的に効くことが確かめられた。

サリドマイド事件

証人尋問始まる

1971年2月18日(昭和46)、東京地裁で第1回口頭弁論が開かれ、直ちに証拠調べに入った。証人尋問が始まったのである。以来月平均2回弱のペースで、丸1日を全部使う証拠調べが行われた。

山田伸男(弁護士=サリ ...

サリドマイド事件

サリドマイド児の父母たち動き始める

サリドマイド児の父母たちは、1962年(昭和37)になってサリドマイド禍の原因追究運動を始めた。

法務省や厚生省を訪ねたり、大日本製薬(株)に抗議を申込むなどした。サリドマイドと障害との因 ...

サリドマイド事件

信頼できるデータが圧倒的に少なすぎた

サリドマイドは、米国ではついに発売されることはなかった。FDA新薬部門の新しい医務官(医学博士)となったフランシス・ケルシー博士が、米国メレル社の発売申請に待ったをかけ続けたためである。

サリドマイド事件

回避できたはずの症例

レンツ警告(1961年11月)を受けて、西ドイツをはじめ欧州各国は速やかに対応した。西欧先進国では、遅くとも同年12月末までには製品の回収を終了したものと思われる。

それに対して日本では、レンツ警告が出 ...

サリドマイド事件

疑わしきは直ちに回収すべきである

グリュネンタール社(コンテルガン製造販売会社)は、2012年8月31日(平成24)、事件発生から50年を経て初めて謝罪の意を表明した。つまり、同社自身はそれまで責任を認めてはいなかったのである。 ...

サリドマイド事件

936症例の内訳については、Amazon版(電子書籍、紙の書籍)にきちんとまとめています。
(このページは、あくまでも下書きです)

はじめに

厚生省が、初めてサリドマイドによる被害調査を開始したのは、イソミ

サリドマイド事件

はじめに

日本国内で、サリドマイド児の存在を初めて明らかにしたのは、梶井正博士(北海道大学医学部)である。

梶井データを伝える読売新聞スクープ「日本にも睡眠薬の脅威」(1962年8月28日付け)によって、日本国内のサリドマイ ...

サリドマイド事件

はじめに

日本国内で、大日本製薬(株)がサリドマイド製剤の出荷中止(1962年5月)を決めた時、既にレンツ警告(1961年11月)から約半年が経過していた。

この出荷中止決定を伝えたのが、朝日新聞夕刊スクープである。 ...

サリドマイド事件

はじめに

レンツ警告(1961年11月)後、欧州各国では直ちにサリドマイドの回収が行われた。1961年末までには回収作業は終了したものと思われる。これに対して、日本国内の動きは非常に緩慢かつ信じられないものであった。

製薬メーカー ...

サリドマイド事件

はじめに

レンツ警告(1961年11月)に先立つこと数か月前までに、日本国内では、東京都立築地産院においてサリドマイドの催奇形性を疑う症例が2年間で3例発生していた。

そして、その事実はメーカーにも報告されたという。しかし、 ...

サリドマイド事件

イソミンとプロバンM(さらにプロバンMB)

大日本製薬(株)は、1958年1月20日(昭和33)、鎮静・催眠剤「イソミン」(単剤)を発売した。

同社は、1960年8月22日(昭和35)、少量のサリドマイドを含む胃腸薬「プロバ ...

サリドマイド事件

はじめに

レンツ警告とは、「サリドマイド(商品名:コンテルガン)が、1960年代初頭に西ドイツ(当時)で多発していた新たな奇形の原因である可能性が極めて高く、したがって、直ちに全製品を回収すべきである」としたレンツ博士(西ドイツ)による ...

サリドマイド事件

睡眠・鎮静剤「コンテルガン」(西ドイツ)コンテルガンの製造販売元グリュネンタール社

サリドマイドは、最初、チバ製薬(スイス)でグルタミン酸誘導体として製造(1953年)された。しかし、薬理作用がないということで開発は中止されていた。(以 ...

サリドマイド事件

はじめに

イソミンの新聞広告は、レンツ警告(1961年11月)の月でピタリと止まっていた。
そしてそれ以降、プロバンMが広告量を急激に伸ばし、朝日新聞スクープ(自主的に出荷中止)の直前まで広告を出し続けていた。

「イ ...

サリドマイド事件

サリドマイド販売量と奇形発生との関係をみたデータ(西ドイツの場合)

疫学研究によれば、サリドマイド胎芽病は、サリドマイドが販売された場所(国)と時間(期間)でのみ発生している。サリドマイド使用量の推移とサリドマイド胎芽病の増減には、少な ...

サリドマイド事件

サリドマイド胎芽病とは、サリドマイドを妊娠初期の母親が服用することによって、胎児(正確には胎芽)に生じる障害(奇形)のことをいう。つまり、サリドマイドには催奇形性がある。

サリドマイドによる障害(奇形)は、四肢(特に上肢) ...

サリドマイド事件

はじめに

サリドマイドによる四肢短縮など(奇形)は、TNF-αの持つ血管新生作用が抑制されることによって生じる。

サリドマイドには「不斉」炭素が一つある。

睡眠・鎮静作用があるのは「右手型(R体)」、催奇性による ...

サリドマイド事件

レンツ警告(疫学の考え方と四分表(2×2表))

レンツ博士(西ドイツ、当時)は、奇形児の本格的な調査を開始してからわずか1週間で、サリドマイド製剤(コンテルガン)が疑わしいという結論に達した。

しかしながら、この時、母親がコ ...

サリドマイド事件

【重要】

サリドマイド事件の被害者の集まりである公益財団法人「いしずえ」の公式Webにおいて、いつかどこかで見かけたような、そして、Copy&Paste(コピペ)まで疑われるような曖昧な文章が並んでいるのをみると、 ...

サリドマイド事件

無料キャンペーン終了(次回未定)
『サリドマイド事件(日本の場合はどうだったのか)』アマゾンKindle版
(2023年)7月2日16:00(日)~7月7日15:59(金)

サリドマイド事件とは

2021年( ...