サリドマイドによる被害調査(厚生省、森山豊東大教授に依頼)

2022年12月28日

紙の書籍『サリドマイド事件(第三版)』(アマゾン・ペーパーバック版:POD版)を出版しました(2023年2月20日刊)。内容はKindle版(第七版)と同じです。現在の正式版は、アマゾンPOD版(紙の書籍)としています。(最新:2023/02/25刷)

POD版、Kindle版共に、Web版よりもきちんとまとまっています。(図版も入っています)

Web版の方が分量の多い箇所も、一部あります。ただし、Web版は全て〈参考資料〉の位置付けです。このWebをご覧いただく際には、〈未完成原稿〉であることをご了解くださいますようお願いいたします。

936症例の内訳については、Amazon版(電子書籍、紙の書籍)にきちんとまとめています。
(このページは、あくまでも下書きです)

はじめに

厚生省が、初めてサリドマイドによる被害調査を開始したのは、イソミン/プロバンMの販売中止(および回収)が決定した翌日(1962年9月14日)である。それから2年後の1964年7月、森山豊東大教授による「日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)」が同学会において発表され、新聞紙上でも大きく取り上げられた。

なお、森山調査にはもう一つ、厚生科学研究班による共同調査(75症例)がある。この調査は、1962年11月30日に始まったが、同年度末(1963年3月31日)には一応の報告書をまとめている。
注)アンケート調査936症例が発表されたのは、1964年7月(上述)である。

日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)

大日本製薬(株)は、1962年9月13日(昭和37)、イソミン/プロバンMの販売中止(そして回収)を決定した。厚生省は、その翌日、サリドマイド被害調査を開始した。

森山豊(東大分院産婦人科教授)による「日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)」のことである。なお、この時点まで、国・製薬メーカー共に全く何の被害調査も行なっていなかった。

ところで、このアンケート調査では、耳や指の奇形は調査対象外であった。そして、梶井データ(小児科)は含まれていない。

また、郵送方式によるアンケート調査(全国の産婦人科医と開業助産婦が対象)の精度について、懸念の声が挙がったものの、個別の患者ごとの詳しい聞き取り調査は結局行われなかった。

調査結果は、以下で確認できる。
ただし、正式な報告書名などは不明である。

1)六年間に九百余人、あざらし状児の出生、日本先天異常学会で発表(朝日新聞記事1964/07/10付け夕刊)
2)「海豹肢症に関する全国調査報告(第1報)」森山豊(1964年)、日本先天異常学会会報,4(2),88-89.
3)森山豊「第5章 サリドマイド奇形」pp.63-76.
(『先天異常 ― その成因と対策』西村秀雄・ 村上氏廣・森山豊編(1966年)、金芳堂)

疑問点)調査結果は、報告書「フォコメリーの発生要因及びその治療に関する研究について」(1964年3月)にまとめられた???(報告書名、日付は不明)

平沢正夫:アンケート調査の意義

平沢正夫(フリージャーナリスト)は、アンケート調査(936症例)について次のようにまとめている。

「(厚生省は)回収決定(1962年9月13日)の翌日、サリドマイドと奇型発生の関係を統計的に正確につかむことをきめ、東大の森山教授に調査を依頼した。森山教授ら六氏は、日本先天異常学会で研究班をつくり、約五万通の調査票を全国の産婦人科医と助産婦一人ずつにもれなく配布した。回答は29,312通、回収率は58.1%であった。調査の結果は、1964年7月、日本先天異常学会において発表された」。(平沢1965,pp.139-140)

このアンケート調査(936症例)は、新聞でも大きく取り上げられた(例えば、朝日新聞記事1964年7月10日付け東京版夕刊、聞蔵Ⅱビジュアルより)。

見出しには「六年間に九百余人、あざらし状児の出生、日本先天異常学会で発表」とあり、「あざらし状奇形児がいったいわが国でどれくらい生まれたのか、その実数を初めて明らかにしたものとして注目された」。(同上記事)

注)日本のサリドマイド製剤が販売されたのは、1958年1月(新発売)から1962年9月(販売中止)までの4年8か月間である。したがって、1963年5月ごろ以降に生まれたサリドマイド児は、販売中止後も売られ続けた製品かまたは家庭内で手持ちしていた残薬によるものである。

梶井正:アンケート調査はどこまで信頼できるか

梶井正(当時、ジュネーブ大学助教授)は、サリドマイド裁判における証言(1971年10月、東京地裁)の中で、このアンケート調査(936症例)に言及している。

梶井は、「いわゆるサリドマイド児でない、それに似ているけれども違う奇形を相当含んでいるのではなかろうかという推定が成り立ちます」とした上で、医師はもちろんのこと、特に助産婦の回答の質に懸念を示している。(藤木&木田1974,梶井証言p.148)

サリドマイド胎芽病による奇形の種類(形)は多様である。サリドマイドによる奇形とそうでない類似の奇形とを鑑別診断したり、内臓の障害まで見逃さないためには、臨床経験を積んだ医師による総合的な判断を必要とする。(同pp.157-160)

もっとも、医師であろうと助産婦であろうと、一片の調査表のみでは、どのような症例がサリドマイド児であるかを鑑別診断することは難しかったのではなかろうか。ちなみに、この調査依頼状の末尾には、「注」として次のように書かれていた。

「アザラシ症(フォコメリー)とは、上肢または下肢の長骨が短く、形が不完全か、または欠損しているもので、左右同じような状態になっていることが多い。なお四肢のほか内臓その他の奇形が併合していることもある」。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.643)

日本先天異常学会では、個々の症例ごとに詳細調査を実施することが検討されたものの、結局はその後の追加調査は何一つ行われなかった。

高野哲夫:アンケート調査の年ごと出生数

高野哲夫(立命館大学)が作成したグラフ「サリドマイド児出生数」は、日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)を採用している。そこでは、年ごとの出生数(及びそのうちの生存数)を棒グラフで表している。(高野哲夫1981,p.124)

注)アマゾンKindle版には図表が入っています。

1958年(出生数76、そのうち生存数17)、1959年(61,14)、1960年(97,22)、1961年(153,39)、1962年(337,61)、1963年(212,31)、総合計(出生数936、うち生存数184)

全体的に、生存率は20%程度であり非常に低いように思える。サリドマイド児の生存率は、文献によってばらつきが見られるものの、レンツ文献(栢森1997,p.41)では生存率約60%としている。

さて、日本先天異常学会のデータを改めて確認すると、イソミンが発売された1958年は「出生数76(そのうち生存数17)」となっている。翌年1959年は「出生数61(うち生存数14)」であり、前年を下回っている。

イソミンの発売日は1月20日である。したがって、イソミンを服用した母親からサリドマイド児が生まれるのは、少なくとも8か月後の1958年9月以降と考えられる。

それにもかかわらず、初年度(1958年)の出生数・生存数は、共に翌年(1959年)を上回っている。この点だけをみても、データに何かしら齟齬のあることが伺える。

なお、高野哲夫「新聞広告量とサリドマイド児発生数」にも、「日本先天異常学会によるアンケート調査(936症例)」が使用されている。(高野1981,p.127)

耳や指の奇形は調査対象外だった

アンケート調査(936症例)では、「耳や指の奇形」については最初から調査項目に含まれていなかった。(サリドマイド裁判1976,第3編,pp.659-660)

ちなみに、「耳の障害」はサリドマイド胎芽病の約1/4を占めており、手足の障害と重複する例は少ない。「指の障害」は頻度不明である。⇒(日本におけるサリドマイド被害者の障害の種類と内訳)

以上から、このアンケート調査(936症例)では、全体の半数近くのデータが抜け落ちている可能性も否定できない。

森山教授は、因果関係をはっきりとは認めなかった

森山教授らによるアンケート調査(936症例)の結果(学会発表)は、上記のように新聞紙上でも紹介された。

平沢は、森山教授の言葉(朝日新聞記事1964年7月11日付け)を次のように伝えている。

「森山教授は「サリドマイドが大きな原因だったことはほぼ確実といえる。しかし、他の要因も考えられるので、今後はこの調査票をもとに、個別的にサリドマイド服用との関係を明らかにしていきたい」(同上記事)として、この時は、因果関係をはっきりとは認めなかった」。(平沢1965,p.140)

森山豊教授(東大分院産婦人科学教室)は、日本産婦人科学会の重鎮であった。だからこそ、厚生省は“サリドマイドと奇形発生の関係を統計学的に正確につかむため全国規模の調査”を依頼したはずである。

アンケート調査結果を示した文献(第一報)の末尾を改めて確認すると、「私らは今後この報告分936名について妊娠中の経過その他の詳細な調査を行なう予定である」と結んでいる。当初は第二報を出す予定だったのであろう。

ところが、集めたアンケート調査原本はその後所在不明となり、個別の患者ごとの詳しい調査は結局行われなかった。

森山は、その理由の一つとして「研究費が出なくなったこと」を上げている。要するに、厚生省及び学会とも詳細調査をする必要性を認めなかった、つまり、事の重大さをきちんと認識していなかったとしか考えられない。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.660)

レンツ警告の意義(疫学調査とその統計学的な処理及び具体的な対策)については、その当時、森山を含む多くの「日本人研究者」が否定的な見解を示している。(川俣2010,pp.47-53)

なお森山は、後のサリドマイド裁判において、被告側の証人として出廷した。

厚生科学研究班の共同調査(75症例)

森山豊(東大分院産婦人科教授)が行ったサリドマイドによる被害調査にはもう一つある。

厚生科学研究班(森山豊・東大分院産婦人科教授)として行った共同調査報告書(75症例)である。⇒「海豹状奇形(Phocomelia)の発生要因に関する研究 ― 特にサリドマイド製剤との関係」昭和37年度厚生科学研究報告書(1963年3月31日)

この共同調査報告書は、厚生省からの正式依頼(1962年11月30日)を受けて、森山が主任研究者として同年度中に取り急ぎまとめたものである。東京都立築地産院のデータ(3例)をはじめ、共同研究者が知っている症例のみ75例を集めている。

その中に、梶井データ(小児科)は含まれていない。なお、この75例の調査原本はその後行方不明となっている。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.659)。

ところで、川俣修壽(サリドマイド事件支援者)は、「1963年3月31日、森山豊東大医学部教授等「海豹状奇形(Phocomelia)の発生要因に関する研究」で国内の被害総数は936人と発表」としている。(川俣2010,年表p.533)

ただしこれは、1963年3月にまとめられた「共同調査結果(75症例)」のことを、「アンケート調査結果(936症例)」(報告年度は1964年)と取り違えているものと思われる。

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参考URL

日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)を引用したデータ

日本におけるサリドマイド児出生数(梶井正による集計データ)

そのほか

関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第7版)』
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2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)
2021年08月25日(第5版発行)
2022年03月10日(第6版発行)
2023年02月20日(第7版発行)、最新刷(2023/02/25)

本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年1月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)