サリドマイド事件

サリドマイドによる被害調査(厚生省、森山豊東大教授に依頼)

投稿日:2018年6月10日 更新日:

厚生省は、大日本製薬(株)がイソミン/プロバンMの販売中止(そして回収)を決定した翌日になって、初めてサリドマイドによる被害調査を開始した。そして、森山豊(東大分院産婦人科教授)による「日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)」がまとまったのは1964年3月のことである。

このアンケート調査では、耳や指の奇形、そしてプロバンMは調査対象外であった。また、アンケート調査(全国の産婦人科医と助産婦が対象)の精度について懸念の声が挙がったものの、個別の患者ごとの詳しい聞き取り調査は結局行われなかった。

なお、森山調査にはもう一つ、厚生科学研究班による共同調査(75症例)がある。

厚生科学研究班の共同調査(75症例)

森山調査の一つに、厚生科学研究班(森山豊・東大分院産婦人科教授)が行った共同調査報告書(75症例)がある。「海豹状奇形の発生要因に関する研究 ― 特にサリドマイド製剤との関係」厚生科学研究報告(1963年3月31日)

この共同調査報告書は、厚生省からの正式依頼(1962年11月30日)を受けて、森山が主任研究者として同年度中に急いでまとめたものである。東京都立築地産院のデータ(3例)をはじめ、共同研究者が知っている症例のみ75例を集めている。

その中に、梶井データ(小児科)は含まれていない。なお、この75例の調査原本はその後行方不明となっている。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.659)。

文献名:森山豊(1964年)「海豹肢症について」(産婦人科の世界,16(2),153-158.)。成書としては、西村秀雄・村上氏広・森山豊編(1966年)『先天異常 ― その成因と対策』にも収載されている。

ところで、川俣修壽(サリドマイド事件支援者)は、「1963年3月31日、森山豊東大医学部教授等「海豹状奇形(Phocomelia)の発生要因に関する研究」で国内の被害総数は936人と発表」としている。

ただしこれは、1963年3月にまとめられた「共同調査結果(75症例)」と、1964年3月にまとめられた「アンケート調査結果(936症例)」を取り違えているものと思われる。(川俣2010,年表p.533)

日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)

森山調査のメインは、日本先天異常学会によるアンケート調査(936症例)である。

厚生省から正式依頼のあった日付は、いしずえ1984(年表pp.118-119)によると、サリドマイド剤の販売中止・回収決定(1962年9月13日)の翌日である。

ただし、サリドマイド裁判ではその日付けは不明としている。とはいうものの、厚生科学研究班の共同調査(75症例)よりは早い時期であったと思われる。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.638)

さて、調査結果は、報告書「フォコメリーの発生要因及びその治療に関する研究について」(1964年3月)にまとめられ、学会発表の後、文献として公表された。森山豊(1964年)「海豹肢症に関する全国調査報告:第1報」,日本先天異常学会会報,4(2),88-89.である。

なお、この調査においても梶井データ(小児科)は含まれていない。

平沢正夫:アンケート調査の意義

平沢正夫(ジャーナリスト)は、アンケート調査(936症例)について次のようにまとめている。

「(厚生省は)回収決定(1962年9月13日)の翌日、サリドマイドと奇型発生の関係を統計的に正確につかむことをきめ、東大の森山教授に調査を依頼した。森山教授ら六氏は、日本先天異常学会で研究班をつくり、約五万通の調査票を全国の産婦人科医と助産婦一人ずつにもれなく配布した。回答は29,312通、回収率は58.1%であった。調査の結果は、1964年7月、日本先天異常学会において発表された」。(平沢1965,pp.139-140)

このアンケート調査(936症例)は、新聞でも大きく取り上げられた(例えば、朝日新聞1964年7月10日付け東京版夕刊、聞蔵Ⅱビジュアルより)。

見出しには「六年間に九百余人、あざらし状児の出生、日本先天異常学会で発表」とあり、「あざらし状奇形児がいったいわが国でどれくらい生まれたのか、その実数を初めて明らかにしたものとして注目された」。(朝日新聞1964年7月10日付け東京版夕刊)

梶井正:アンケート調査はどこまで信頼できるか

梶井正(北海道大学医学部)は、サリドマイド裁判における証言(1971年10月、東京地裁)の中で、このアンケート調査(936症例)に言及している。

梶井は、「いわゆるサリドマイド児でない、それに似ているけれども違う奇形を相当含んでいるのではなかろうかという推定が成り立ちます」とした上で、医師はもちろんのこと、特に助産婦の回答の質に懸念を示している。(藤木&木田1974,梶井証言p.148)

サリドマイド胎芽病による奇形の種類(形)は多様である。サリドマイドによる奇形とそうでない類似の奇形とを鑑別診断したり、内臓の障害まで見逃さないためには、臨床経験を積んだ医師による総合的な判断を必要とする。(藤木&木田1974,梶井証言pp.157-160)

もっとも、医師であろうと助産婦であろうと、一片の調査表のみでは、どのような症例がサリドマイド児であるかを鑑別診断することは難しかったのではなかろうか。ちなみに、この調査依頼状の末尾には、「注」として次のように書かれていた。

「アザラシ症(フォコメリー)とは、上肢または下肢の長骨が短く、形が不完全か、または欠損しているもので、左右同じような状態になっていることが多い。なお四肢のほか内臓その他の奇形が併合していることもある」。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.643)

日本先天異常学会では、個々の症例ごとに詳細調査を実施することが検討されたものの、結局はその後の追加調査は何一つ行われなかった。

高野哲夫:アンケート調査の年ごと出生数

高野哲夫(立命館大学)が作成したグラフ「サリドマイド児出生数」は、日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)を採用している。そこでは、年ごとの出生数(及びそのうちの生存数)を棒グラフで表している。(高野哲夫1981,p.124)

1958年(出生数76、そのうち生存数17)、1959年(61,14)、1960年(97,22)、1961年(153,39)、1962年(337,61)、1963年(212,31)、総合計(出生数936、うち生存数184)

全体的に、生存率は20%程度であり非常に低いように思える。サリドマイド児の生存率は、文献によってばらつきが見られるものの、レンツ文献(栢森1997,p.41)では生存率約60%としている。

さて、日本先天異常学会のデータを改めて確認すると、イソミンが発売された1958年は「出生数76(そのうち生存数17)」となっている。翌年1959年は「出生数61(うち生存数14)」である。

初年度(イソミンの発売は1月20日)にイソミンを服用した母親からサリドマイド児が生まれるのは、少なくとも9月以降と考えられる。それにもかかわらず出生数・生存数共に翌年を上回っている。データに何らかの瑕疵があると考えられる。

なお高野哲夫「新聞広告量とサリドマイド児発生数」にも「日本先天異常学会によるアンケート調査(936症例)」が使用されている。(高野1981,p.127)

調査対象外の範囲が広い(耳や指の奇形、そしてプロバンM)

アンケート調査(936症例)では、「耳や指の奇形」については最初から調査項目に含まれていなかった。また、プロバンMは調査対象外だった。(サリドマイド裁判1976,第3編,pp.659-660)

平沢によれば、イソミンとプロバンMの間で被害児数には大きな差はなかったとも考えられる。(平沢1965,p.204)

さらに、「耳や指の奇形」が調査対象から外れていることと合わせて考えると、全体の半数以上のデータが抜け落ちている可能性も否定できない。

ちなみに、「耳の障害」はサリドマイド胎芽病の約1/4を占めており、手足の障害と重複する例は少ない。「指の障害」は頻度不明である。(いしずえホームページ「日本におけるサリドマイド被害者の障害の種類と内訳」(認定数309人))

森山教授は、因果関係をはっきりとは認めなかった

森山教授らによるアンケート調査(936症例)の結果(学会発表)は、上記のように新聞紙上でも紹介された。

平沢正夫は、森山教授の言葉(朝日新聞記事1964年7月11日付け)を次のように伝えている。

「森山教授は「サリドマイドが大きな原因だったことはほぼ確実といえる。しかし、他の要因も考えられるので、今後はこの調査票をもとに、個別的にサリドマイド服用との関係を明らかにしていきたい」(朝日新聞記事1964年7月11日付け)として、この時は、因果関係をはっきりとは認めなかった」。(平沢1965,p.140)

森山豊教授(東大分院産婦人科学教室)は、日本産婦人科学会の重鎮であった。だからこそ、厚生省は”サリドマイドと奇形発生の関係を統計学的に正確につかむため全国規模の調査”を依頼したはずである。

アンケート調査結果を示した文献(第一報)の末尾を改めて確認すると、「私らは今後この報告分936名について妊娠中の経過その他の詳細な調査を行なう予定である」と結んでいる。当初は第二報を出す予定だったのであろう。

ところが、集めたアンケート調査原本はその後所在不明となり、個別の患者ごとの詳しい調査は結局行われなかった。

森山は、その理由の一つとして「研究費が出なくなったこと」を上げている。要するに、厚生省及び学会とも詳細調査をする必要性を認めなかった、つまり、事の重大さをきちんと認識していなかったと考えられる。(サリドマイド裁判1976,第3編,p.660)

全般的に、日本産婦人科学会では、サリドマイド仮説「サリドマイド胎芽病の原因はサリドマイドに有る」を積極的に認めることはなかったと言えるだろう。なお森山は、後のサリドマイド裁判において、被告側の証人として出廷した。

最後に、東京都立築地産院は東大分院産婦人科学教室(森山豊教授)の関連病院の一つであった。同病院では、レンツ警告以前にサリドマイドには催奇形性があることに気付いていたと思われる。しかし、その懸念が外部に向かって発信されることはなかった。

参考URL

日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)を引用したデータ

日本におけるサリドマイド児出生数(梶井正による集計データ)

そのほか

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1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

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Web管理人

山本明正(やまもと・あきまさ)

1970年3月(昭和45)薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)製薬メーカー入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2019年5月(令和1)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)

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