片平洌彦著『ノーモア薬害』を読む

2021年1月24日

新型コロナウイルス感染症の巨大な波が襲う中で、催奇形性を有するアビガン錠の追加承認があるかどうか、薬屋としても緊迫したコロナ第2年目を迎えました。

ここでは、薬害というものを改めて考え直すきっかけとして、片平洌彦著「ノーモア薬害」のサリドマイドの項を読んでみました。

本書は、基礎的な資料としてとても参考になる力作です。
その中から、私なりに気になる点を掘り下げてみました。

わが国のサリドマイド胎芽病患者(309名)の症状別分類

1981年11月、いしずえ調査
木田1982,p162からの引用
(片平1997,p.31)

「サリドマイド胎芽症 診療ガイド2017」p.13をみると、
「上肢低形成群で 230/309(75%)人、聴器低形成群 59/309(19%)人であり、2つのグループの混合群 20/309(6%)になっている」としています。
(230+59+20=309:認定患者数)

これらの数値は、「いしずえ」公式Web(2021/01/11確認)とは異なっています。
同Webの数値を診療ガイド2017のまとめ方で置き換えると、次のようになります。
(227+63+19=309:認定患者数)

このような数値の食い違いが生ずるのは、時期によって診断基準が異なるなどの原因があるのかもしれません。
最新の基準に照らしたデータの提示が望まれます。

世界のサリドマイド被害児の数

世界のサリドマイド被害児の数が、木田1982,p.163から引用(要約)されています。(片平1997,p.31)
木田1982の該当箇所を確認すると、「最近レンツから直接聞いたところによる」となっています。

レンツはその後(1988年)、次の論文を発表しています。
そして、同文献は栢森1997,pp.39-41で既に紹介されています。

Lenz W: A short history of thalidemide embryopathy. TERATOLOGY,38:203-215,1988

木田1982(レンツからの聞き書き)と栢森1997(レンツの公表文献からの引用)では、国別患者数や生存率(死亡率)で異なる箇所が幾つかあります。

この二つを比べるならば、より新しい公表文献の方を基礎資料にすべきと考えます。

ケルシー博士・FDA(米国食品医薬品局)の活躍

「多発性神経炎などの副作用が相次ぎ(1961年5月までに約1,300件)、米国では食品薬品庁のケルシー女史がこれを問題にして製造承認を与えませんでした」。(片平1997,p.32)

ケルシー博士の活躍(ストーリー)について、私は以下のように考えています。
https://yakugai.akimasa21.net/thalidomide-outline/
https://yakugai.akimasa21.net/thalidomide-kelsey/

「ケルシーが当初指摘したのは、安全性を示す動物実験が不十分だったことにあります。
そしてその後、フローレンスの多発神経炎の記事(英国医師会雑誌:British Medical Journal)を読んで、催奇形性に注目したというのが真相のようです」。

上記に記載している参考資料を基にして、私なりに導き出した結論です。

なお、厚生労働省の関連リンク集では、
FDA:Food and Drug Administration(米国食品医薬品局)としています。
また、女史という表現は、現在では「性差別語(sexist language)」の一つに挙げられていると理解します。

レンツ警告(1961/11/15)について

「西ドイツでは、小児科医ノバック・レンツのもとに1961年6月5日以降続々と奇形児出生の報告が寄せられ、レンツは11月8日に至ってサリドマイドをその原因と疑い、11月18日のデュッセルドルフの会議において「サリドマイド剤を直ちに回収するように」警告を発しました」。(片平1997,p.33)

片平1997では、「小児科医ノバック・レンツ」としています。
なるほど、「サリドマイド胎芽病の過敏期(82例)」では、ノバック・レンツという表記になっています。

しかしながら、この表について、増山編1971(木田p.137)は「この点に関してはノバックとレンツの詳しい研究がある」とした上で、彼らの研究結果である「サリドマイド胎芽病の過敏期(82例)」について、それこそ詳しく解説しています。

ノバック(E Nowack)とレンツ博士(Widukind Lenz)は別人です。

さて、レンツ警告をめぐるストーリーについて、私は以下のように考えています。
https://yakugai.akimasa21.net/thalidomide-lenz/

片平1997には、「小児科医ノバック・レンツのもとに1961年6月5日以降続々と奇形児出生の報告が寄せられ」とあります。

しかしその当時、レンツは多忙を極めていました。
そうした中で、新しいタイプの奇形児発生には強い関心を持っていたものの、自らが次々と報告を受け取れる状況にはなかったと考えます。

片平1997には、「レンツは11月8日に至ってサリドマイドをその原因と疑い」とあります。

しかしながら、レンツ博士が新しいタイプの奇形児発生について、本格的な調査を開始したのは11月9日とされています。
そしてその直後(11月13日)、サリドマイドが疑わしいとの結論を出しています。

片平1997には、「11月18日のデュッセルドルフの会議において「サリドマイド剤を直ちに回収するように」警告を発しました」とあります。

しかしながら、レンツ博士は、11月18日には小児科学会地方会で発言していますが、この学会上ではサリドマイドの名前を出すことはありませんでした。
なお、デュッセルドルフの会議とは、11月24日に行われた会議を指すと思われます。

片平著では、「レンツ警告=1961年11月15日」という一番大切な日付が欠落しています。

レンツ警告が発せられたのは、あくまでも11月15日のことです。
当日、レンツはグリュネンタール社に電話をしました。
それに対応したのが、サリドマイド開発者のミュクター博士でした。
そして11月20日、グリュネンタール関係者とレンツの会談が始まりました。

グリュネンタール社は、終始レンツに理不尽な態度をとったようです。
しかしながら、同社は、何はともあれ交渉のテーブルについています。
そして結果的に、早い段階で販売を中止し、回収作業を徹底して行いました。

それに対して日本では、梶井正博士(北海道大学医学部小児科)が、サリドマイドの催奇形性を疑うデータを持って大日本製薬(株)札幌支店を訪問したにもかかわらず、その後、全く何の反応も示すことはありませんでした。(時期は、Lancet投稿直後、1962年6月末から7月の間)

梶井は、同時に北海道庁衛生部も訪問しましたが、特に何の動きもありませんでした。
そして同社と国(厚生省)は、レンツ警告を受け取った後も、そろって警告を無視し続けました。

薬事審議会と事務局限りの包括建議について

包括建議とは、多数の案件を円滑に処理するためとして、薬事審議会(薬審)に諮ることなく、〈事務局限り〉(厚生省薬務局製薬課)で処理を行っていた制度のことです。
対象となったのは、その当時常態化していたゾロ品(真似薬)などです。
つまり、イソミンのような新医薬品(日本国内で初めての医薬品)は、通常は対象とならないはずでした。

片平1997では、イソミンの製造承認をめぐる出来事に関して、次のようにまとめています。
「厚生省は9月9日に中央薬事審議会の下部組織である新医薬品調査会において、わずか1時間半の書面手続きだけで製造の承認を与えました」。(片平1997,p.35)

私には、「〈書面手続きだけで〉製造の承認を与えました」という文言の意味がよく分かりません。
1957年9月2日、新医薬品調査会の開催通知が発送されていますから、9月9には該当する委員が集まって〈審議をした〉のは間違いないと思われます。
それを、ことさら〈書面手続きだけで〉という表現になっているのは、何か意味があるのでしょうか。

イソミンは、日本国内では初めての医薬品(新医薬品)でした。
したがって、もちろん薬事審議会の対象品目とみなされます。
つまり、ゾロ品(真似薬)ではありませんから、包括建議の対象となることはないはずです。

ところが、イソミンの申請書には、「先進国では既に発売されている医薬品である」という情報が添付されていたというのです。
こうしてイソミンは、包括建議(第八項)の対象とされました。
その結果、専門家の審議(新医薬品調査会)は必要としたものの、薬事審議会にかけられることなく製造販売許可を得ました。

さて、改めて片平1997,p.35を確認すると、「「米国、独国(一部略)等において既に製造販売されている有名医薬品で効能の他の内容が適当なもの」(他に7項目)」はいわば事務手続きだけで製造を認めてよいとしていた」となっています。

しかしながら、この個所は言葉足らずであると考えます。

包括建議(第八項)に該当する品目だけは、ゾロ品(真似薬)などの扱い(第1~7項)とは異なり、〈書面手続きだけ〉で済ますことはできませんでした。
だからこそ、少なくとも新医薬品調査会(薬事委員会の下部組織)で審議されたのです。

結論として、ここの文章が「新医薬品調査会の審議」=「(厚生省薬務局製薬課による)書面手続きだけ」とする内容であるとするならば、間違いだと考えます。

自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM(朝日夕刊1962/05/17付け)

片平1997では、「日本国民がサリドマイド事件について知らされたのは1962年8月26日、北海道大学梶井正氏の学会報告を読売新聞が報道したのが最初だった」としています。(片平1997,p.36)

この新聞記事によって、やっと日本国内にもサリドマイド患者がいることが公になりました。
ただし、上記文章では、読売新聞の報道=1962年8月26日付けの記事と読み取れます。

私は以前から、「梶井博士のランセット掲載(1962年7月)に続く地方会での発表(8月26日)、そして読売新聞スクープ(8月28日)あるいは販売中止(9月13日)の日付を時系列で正確に伝えている資料は極めて少ない」ことを残念に思っています。

そして片平著では、「自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM(朝日新聞・1962/05/17付け夕刊記事)に言及していないのもまた残念なことです。

「奇妙なのは日本のマスコミで、レンツ警告以後、欧米のマスコミはサリドマイド事件を次々と報道しているのに、日本ではいっこうに報道されませんでした」(片平1997,p.36)とありますが、この論調は、木田1982と全く同じです。

しかしながら、朝日新聞記事(1962/05/17付け夕刊)こそ、わが国でのサリドマイド事件の第一報(いわゆるマスコミ報道)であることは間違いありません。

サリドマイドに関する時効は、国内で初めてサリドマイド禍が報道された同記事から3年と判断されました。
そして実際に、「こどもたちの未来をひらく父母の会」(サリドマイド児の父母の会)では、「とりあえず時効の中断手続きをとるため、大急ぎで原告予定者のリストを作成して東京地裁宛に投函した」という事実があります。

それより何よりも、朝日の記事は以下のように非常に多くの問題を含んでおり、日本のサリドマイド事件の中で重要なポイントになっていると考えます。

朝日新聞記事は、日本国内のサリドマイド児の存在を否定しました。
翌日の同朝刊記事では、専門家による長文のコメント「悪影響の実例、日本ではない」を掲載しました。
そこには、「妊娠中の婦人で睡眠薬を使用された方はけっして心配することはないと思う」と書かれていました。
新聞記事の1週間後、厚生省も「国内ではまだ患者についての報告が一件もない」と通達を出しました。

こうして、出荷停止の措置は取られたものの、既に出荷された商品は回収されることなく、その後も薬局で売られ続けました。
つまり、朝日新聞スクープは、日本国内におけるサリドマイド製剤の販売中止を決定付ける要因とはなりませんでした。

以上、私なりの気付きです。

  • 片平洌彦『ノーモア薬害(増補改訂版)』桐書房(1997年12月)
    私の手元にあるのは、『ノーモア薬害』桐書房(1995年6月、第1刷)と増補改訂版の第2版(2005年5月)だが、サリドマイドに関する記述は、1995年6月(第1刷)から変わりないものと思われる。
  • 木田盈四郎『先天異常の医学』中公新書(1982年)
    私の手元にあるのは、第13版(1998年5月25日)だが、内容は初版と変わりないと思われる。
  • 栢森良二『サリドマイド物語』医歯薬出版(1997年6月)、初版所有
    栢森良二『サリドマイドと医療の軌跡』西村書店(2013年12月)、初版所有
  • 増山元三郎編『サリドマイド』UP選書(1971年8月)、初版所有
  • 『薬害はなぜなくならないか』日本評論社(1996年11月)、第3刷(1997年2月)所有
  • 『サリドマイド胎芽症 診療ガイド2017』⇒2020年版有り
  • 公益財団法人「いしずえ」>>サリドマイド事件-事件の概要/被害の実態
    http://ishizue-twc.or.jp/thalidomide/damage-01/

関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第5版)』
世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか(図表も入っています)

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2015年3月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)
2021年08月25日(第5版発行)

本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2021年4月(令和3)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)