サリドマイド事件

新聞広告量とサリドマイド児発生数(高野哲夫グラフ)

高野哲夫(立命館大学)は、中森データを使用して「新聞広告量とサリドマイド児発生数」の経時変化を示したグラフを作成している。(高野1981,p.127)

高野グラフでは、中森 ...

サリドマイド事件

イソミン販売量が大日本製薬(株)から公表されている

吉村功(名古屋大学助教授)の論文の中に、「大日本製薬が公表したイソミン販売量と奇形児出生数」(プロバンMを除く)の表がある。(増山編1971,吉村p.243)

全国を9つの ...

サリドマイド事件

日本におけるサリドマイド胎芽症の出生頻度(梶井データ)

梶井は、日本のサリドマイド裁判で原告側証人として出廷している(1971年10月、東京地裁)。その時の尋問で取り上げられた資料の一つに、「甲一二九号証の一」がある。梶井が自ら作成した ...

サリドマイド事件

ヒトのサリドマイドに対する感受性は極めて高い

「西ドイツでの調査によると、外観に異常がなくても、危険期に服用した母親から生まれた児には、必ず異常が発見できたとレンツ教授は語っている」。(シェストレーム1973,増山:序に代えてp.8)

サリドマイド事件

サリドマイド事件(参考文献)

以下にて、参考とした資料を示す。(ほぼ年代順)

Florence A.L.(1960年): Is thalidomide to blame? Brit Med J., 2(Dec.31),1954.

サリドマイド事件

サリドマイドの誕生1954年5月、コンテルガン特許出願(西ドイツ)
1956年11月、イソミン特許出願(日本)
1957年3月ごろ、臨床試験開始(イソミン)
8月16日、製造販売許可申請(イソミン)
8月21日、厚生 ...

サリドマイド事件

サリドマイド新たな脚光を浴びる

1964年(昭和39)、全くの偶然からエルサレム・ハンセン病病院(ヤコブ・シェスキン院長)で、サリドマイドがハンセン病患者に多発する難治性の皮膚炎(結節性紅斑)に劇的に効くことが確かめられた。

サリドマイド事件

証人尋問始まる

1971年2月18日(昭和46)、東京地裁で第1回口頭弁論が開かれ、直ちに証拠調べに入った。証人尋問が始まったのである。以来月平均2回弱のペースで、丸1日を全部使う証拠調べが行われた。

山田伸男(弁護士=サリ ...

サリドマイド事件

サリドマイド児の父母たち動き始める

サリドマイド児の父母たちは、1962年(昭和37)になってサリドマイド禍の原因追究運動を始めた。

法務省や厚生省を訪ねたり、大日本製薬(株)に抗議を申込むなどした。サリドマイドと障害との因 ...

サリドマイド事件

サリドマイドは、米国ではついに発売されることはなかった。FDA(米国食品医薬品局)のフランシス・ケルシー博士が、米国メレル社の発売申請に待ったをかけ続けたためである。

時の米国大統領ジョン・F・ケネディは、ケルシー博士を米 ...