サリドマイド事件のあらまし(概要)

2020年5月25日

はじめに

今まさに、新型コロナウイルス感染症の治療薬として、催奇形性を有するアビガン錠(抗インフルエンザウイルス薬)が今月(2010年5月)中にも追加承認されようとしています。しかしながら、科学的な根拠に基づいた手続きがなされているのかどうか不透明です。

ワイドショーでは、アビガン錠投与を受けた著名人による「使った、治った、助かった」という感想が流されました。ただし今現在、「アビガン「有効性判断には時期尚早 臨床研究継続」新型コロナ」(NHK NEWS Web 2020年5月20日 14時37分)というのが現状のようです。

そうした状況の中で、サリドマイド被害者ご本人からメールを頂きました。初めての経験です。

この方は、「サリドマイド訴訟に加わることも和解後の認定を受けることもしなかった」、つまり未認定の方です。これまでの長年月の思いに込めて、この度、サリドマイド関連の事実関係についてさらなる見直しを行い、第4版(2020/05/20)としました。

当Webでは、保険薬局のパート薬剤師として手の届く限りではありますが、とことん事実関係を追及しています。そして、それをできる限り正しい用字用語で表現するように試みています。

参考)NHKあさイチ「プレミアムトーク」(2020/05/22)で、『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』の翻訳者である関美和さんが、生出演されていましたね。改めてNHK番組表を見ると、「新型コロナ感染拡大で不安が広がる今の世界を「正しく」見るということ▽作者の語り口が聞こえるよう訳すとは」となっています。

サリドマイド事件とは(世界最大の薬害)

サリドマイド事件とは、睡眠・鎮静剤サリドマイド(化合物名:N-フタリル・グルタミン酸イミド)を妊婦が服用することによって、胎児(正確には胎芽)に四肢短縮などの障害(奇形)を生じた世界的な薬害事件(1950年代後半から1960年代初頭にかけて)のことを言います。

サリドマイド(thalidomide、化学式:alpha-ph[thal]-im[ido]-glutari[mide])を開発したのは、グリュネンタール社(西ドイツ、当時)です。サリドマイド製剤は、西ドイツで商品名「コンテルガン」として発売(1957年10月1日)以来、提携会社を通じて世界46か国で販売されていました。

ところが、販売開始から丸4年後(1961年11月15日)、サリドマイドの催奇性を疑うレンツ警告(西ドイツ)が出され、同剤は直ちに先進国の市場から姿を消しました。

サリドマイド製剤は、日本国内でも販売されました。しかしそれは、西ドイツから導入されたものではありません。日本国内のサリドマイドは、大日本製薬(株)が独自の製法を用いて合成を行い、1958年1月20日(昭和33)、睡眠・鎮静剤「イソミン」(単剤)として販売を開始しました。

大日本製薬(株)は、1960年8月22日(昭和35)、胃腸薬「プロバンM」(合剤)を追加発売しました。その内容は、抗コリン薬の臭化プロパンテリンに少量のサリドマイドを配合したものでした。なお、サリドマイド製剤はそのほかのメーカーからも発売されました。しかしながら、大日本製薬(株)の2製品で90~95%占拠していたとされています。

サリドマイドの誕生(西ドイツ&日本)
日本のサリドマイド製剤(イソミンとプロバンM、そしてゾロ品)

あなたはWikipediaが好きですか、それとも嫌いですか

私はWikipediaが好きです。もちろん自分で利用することもあれば、書き込みをすることもあります。あるまとまったページを立ち上げて公開もしています。日頃の感謝を込めて、時々インターネット上で寄付をしたりもします。

そんな私でも、以下のような文章をみると、怒りがこみ上げてきます。Wikipedia「サリドマイド」(2020/05/21再確認)からの引用です。

「西ドイツでは、幼児用の睡眠薬として市販されていたため、約3000人という特に被害が大きかったとされる」。意味不明、支離滅裂な文章です。

以下、蛇足ながら書いておきます。

サリドマイド被害児は、自分の母親の胎内にいる時に、母親がサリドマイド製剤を服用したことによって被害を受けました(奇形を生じました)。このことを、サリドマイドには催奇形性があると言います。つまり、幼児用の睡眠薬を飲まされた幼児が奇形になることは決してありません。

幼児用の睡眠薬が市販されていたことと、サリドマイド児の被害が大きくなった(人数が多くなった)こととの間には何の因果関係もありません。妊婦にも安全だと称して、妊婦にサリドマイド製剤を飲ませたことが間違いだったのです。

レンツ警告(サリドマイドの催奇形性を疑う)

レンツ警告は、1961年11月15日(昭和36)、レンツ博士(西ドイツ、ハンブルグ大学小児科講師)によって発せられました。その内容は以下のとおりです。

レンツ警告(グリュネンタール社への電話):

サリドマイド(商品名:コンテルガン)が、1960年代初頭に西ドイツで多発していた新たな奇形の原因である可能性が極めて高く、したがって、直ちに全製品を回収すべきである。(1961/11/15)

レンツ警告=11月15日(電話)である

私は、レンツ警告=1962年11月15日(グリュネンタール社への電話)と考えています。これに対して、レンツ警告=11月18日(地方学会での発言)とする資料が数多くあります。

例えば、日本のサリドマイド裁判で弁護団に加わった更田義彦(弁護士)は、次のように述べています。明らかに、レンツ警告=11月18日説です。

1961年11月、ドイツのW.レンツが、地方小児科学会で、最近の新生児に見られる四肢の欠陥について「ある特別の薬(サリドマイド)がこの原因になっているのではないか」と発言して、警告を発した。
この警告は、海外では大きな反響を呼び起こし、速やかに販売の停止、回収等の措置が講じられた。

NPO法人 エイチ・エー・ビー研究機構
トップページ > HAB人試料委員会 >創薬研究の基礎知識
サリドマイド事件の教訓 更田義彦(弁護士)
https://www.hab.or.jp/committee/pdf_hito03/5-2_fuketa.pdf
(2020/05/22閲覧)

レンツ博士は、この学会場でコンテルガンの名前を出しませんでした。その理由について、レンツは日本のサリドマイド裁判で次のように証言しています。

以前に会社に対して警告をいたしましたので、彼らが市場からその薬品を回収できる時間を与えるべきではないかといった気持でこのことを公開しなかったのだと思います

上記証言の中の「以前に会社に対して警告をいたしました」とは、1961年11月15日、レンツ博士がグリュネンタール社に電話したことを指しています。

つまり、レンツ博士が、グリュネンタール社に直接電話(11月15日)して詳細を伝えたのは、レンツ博士が地方学会で簡単な発言(11月18日)をする前のことです。そしてグリュネンタール社は、11月15日の電話を受けた時点で、後日レンツ博士を訪問することを約束しています。つまり、ここから既に事態は動いています。

なお、レンツ博士・コンテルガンについて学会発表(11月18日)などとする資料もありますが、この時、コンテルガンの名前は出されていません。再度確認しておきます。

レンツ警告1/3(サリドマイドが奇形の原因である可能性が極めて高いと警告/1961年11月)

レンツ警告(疫学の考え方を理解する)

サリドマイドと奇形との間に、因果関係が有るのか無いのかをはっきりさせるためには、疫学の考え方が欠かせません。

疫学とは、広辞苑2008(第六版)によれば、「疾病・事故・健康状態について、地域・職域などの多数集団を対象とし、その原因や発生条件を統計的に明らかにする学問」としています。

サリドマイド事件の場合には、症例対照研究(後向き研究)として行うことになります。つまり、「ある疾病にかかった群(症例群)とかかっていない群(対照群)を設定し、両群における過去の生活習慣の状況を比較する方法」です。

具体的には、調査結果を四分表(2×2表)にまとめて統計学的な分析をします。そしてその上で、必要に応じた素早い対応を取ることが求められます。

レンツの偉大さは、サリドマイド児を自ら一例ずつ調査して回り、「奇形の原因としてコンテルガンが極めて疑わしい」ということを、短期間のうちに探り当てたことにあります。そしてそれに基づき、「コンテルガンを直ちに回収すべきである」という見解を示した点にあります。

レンツは、専門知識・臨床経験をフルに発揮して、疫学調査を忠実に実行したのです。

レンツ警告の意義は、「疫学調査とその統計学的な処理及び具体的な対策」を示したことにあります。

レンツ警告2/3(疫学の考え方、四分表(2✕2表)を理解する)

レンツ警告(メカニズムの解明よりも素早い回収を)

レンツ警告では、「コンテルガンが奇形の原因である」と断定したわけではありません。

この時点で、母親がコンテルガンを服用したことが確実な症例は、ごくわずかしか集まってはいませんでした。もちろん、サリドマイド胎芽病そのものについては、まだよく分かっていませんでした。

ただしこの段階で、「メカニズムは未解明」であることには何の問題もありません。

なぜならば、疫学とは、メカニズムの解明よりも何よりも先に、「目の前にある問題を解決するために、今すぐやるべきことは何か」を解明する学問だからです。

これに対して、Wikipedia「サリドマイド」の「薬害サリドマイド禍」の項では、次のように述べています。(2018/06/17閲覧)

疫学調査(レンツ警告・1961年11月。ただしこの報告は疫学的因果関係のみでメカニズムは未解明)から先天異常「サリドマイド胎芽症」や胎児死亡といった催奇性と因果関係があるとされ、日本では1962年9月に販売停止と回収が行われた。

レンツ警告(疫学調査に基づく警告)に対して、「ただしこの報告は疫学的因果関係のみでメカニズムは未解明」と評価するのは意味の無いことです。疫学調査には、メカニズムの解明までは求められていないからです。

レンツ警告3/3(素早い回収こそ最善の策である)

大日本製薬株式会社(致命的な販売中止決定の遅れ)

レンツ警告は、翌月12月に入ってから日本にも届けられました。既に西ドイツでは販売中止(及び回収決定)になったことも同時に伝えられました。

大日本製薬(株)は、1961年12月6日(昭和36)、厚生省と協議したものの「有用な薬品を回収すれば社会不安を起こす」として、販売を続行しました。

自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM(朝日夕刊1962/05/17付け)

大日本製薬(株)が出荷を中止したのは、翌年1962年5月になってからであり、そのことをスクープしたのが、朝日新聞夕刊記事「自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM」(1962年5月17日付け)です。

そしてこれが、わが国でのサリドマイド事件の第一報とされています。つまり、レンツ警告から約半年間、日本国内での報道は一切ありませんでした。

ところで、この時の朝日新聞記事(翌日朝刊)では、日本にはまだサリドマイド児は存在しないことにされてしまいました。レンツ警告から半年もの間、大日本製薬(株)、国(厚生省)そして新聞をはじめとするマスコミは、本当に何のデータも得ることはなかったのでしょうか。

いずれにしても、出荷停止の措置は取られたものの、既に出荷された商品は回収されることなく、そのまま薬局で売られ続けました。当然被害は拡大し続けました。

日本にも睡眠薬の脅威(読売朝刊1962/08/26付け)

日本国内で、サリドマイド児の存在を初めて明らかにしたのは、梶井正博士(北海道大学医学部講師)です。

梶井博士は、自験例7例をいきなり英国の医学雑誌「The Lancet(ランセット)」(1962年7月21日発行)に投稿しました。そしてその後、北海道の小児科学会地方会で発表(8月26日)しました。その内容をスクープしたのが、読売新聞記事「日本にも睡眠薬の脅威」(1962年8月28日付け)です。

読売新聞スクープによって、日本国内のサリドマイド問題は一気にクローズアップされることになりました。そしてその2週間後(9月13日)、大日本製薬(株)はイソミンとプロバンMの販売中止(及び回収)に踏み切りました。レンツ警告(1961年11月)から遅れること約10か月後のことです。

注)地方会発表(8月26日)、読売新聞スクープ(8月28日)、あるいは販売中止(9月13日)の日付を正確に伝えている資料は極めて少ない。

レンツ警告後、日本国内での販売中止とそれに続く回収作業が大幅に遅れた間にも、多くの患者が発生しました。レンツ警告後のサリドマイド児数は、日本が世界で一番多くなっています。

国・製薬企業共に、レンツ警告の意義「疫学調査とその統計学的な処理及び具体的な対策」を理解していなかったと言えるでしょう。

レンツ警告後、日本での回収決定は大幅に遅れた
自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM(朝日新聞スクープ)
日本にもサリドマイド児・梶井正博士(読売新聞スクープ)

日本のサリドマイド児に関するデータ分析

日本国内では、レンツ警告(1962年11月)以前に、サリドマイドの催奇形性について把握していたと思われるケース(東京都立築地産院)があります。その事実はメーカーにも報告されたということですが、その情報が生かされた形跡はありません。

レンツ警告の約半年後、朝日新聞スクープ「自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM」(1962/05/17付け夕刊)に際しては、厚生省から「国内ではまだ患者についての報告が一件もない」という通達が出されました。

厚生省が初めて被害調査を開始したのは、イソミン/プロバンMの販売中止(そして回収)が決定した翌日(1962年9月14日)のことです。そして、その2年後の1964年7月、森山豊東大教授による「日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)」が新聞紙上で発表されました。

このアンケート調査では、耳や指の奇形、そしてプロバンMは調査対象外でした。また、アンケート調査(全国の産婦人科医と助産婦が対象)の精度について懸念の声が挙がったものの、個別の患者ごとの詳しい聞き取り調査は結局行われませんでした。

東京都立築地産院におけるサリドマイド児3例
サリドマイドによる被害調査(厚生省、森山豊東大教授に依頼)

日本のサリドマイド被害児数やイソミンの販売量推移については、以下の資料があります。ただし、プロバンMの販売量推移及びプロバンMによる被害児数の推移データは公表されていません。

とは言え、レンツ警告(1961年11月)後もイソミンの販売量は減ることなく、翌年1962年1月から出荷中止となる5月まで、イソミン・プロバンM共に販売量がピーク状態にあったことは間違いありません。その結果、その8か月後(1962年9~12月/1年を4か月単位で区切っている)で最も多くの被害児が生まれています。

日本におけるサリドマイド被害児数(梶井データ/いしずえデータ)
大日本製薬(株)が公表したイソミン販売量と奇形児出生数

胎児(胎芽)がサリドマイドの影響を受けてから生まれるまで、最大で約8か月と考えることができます。

そこでもし仮に、サリドマイドの全面回収が、レンツ警告(1961年11月)が出された年の間に完了したとするならば、1962年9月以降サリドマイド胎芽症が発症することはなかったと考えられます。ところが実際には、日本のサリドマイド児の約1/3あるいは半数近く(データによる)が1962年9月以降の生まれです。

日本では、先進諸国と比べて販売中止(及び回収決定)が遅れたため、被害が拡大しました。

日本のサリドマイド事件のもう一つの特徴として、死亡率が高い(生存率が低い)ことや重症度が低い(下肢の障害が少ない)ことが挙げられます。その理由として、無事に生まれたサリドマイド児を死産扱いとしたケースのあることが示唆されています。

日本のサリドマイド事件の特徴(回避できたはずの症例、生まれたはずの症例)

ケルシー博士(米国FDA)の活躍

サリドマイドは、米国ではついに発売されることはありませんでした。

FDA(米国食品医薬品局)のフランシス・ケルシー博士が、米国メレル社の発売申請(1960年9月8日付け)に待ったを掛け続けたためです。その間当然ながら、発売を急ぐメレル社とケルシーとの間で激しいやり取りが交わされました。(米国での販売予定名:ケバドン)

その内幕は、レンツ警告の翌年に「ワシントン・ポスト」紙(1962年7月15日付)の記事で初めて明らかにされました。そして、時の米国大統領ジョン・F・ケネディは、ケルシー博士を米国の救世主としてたたえ、大統領勲章を贈りました(同年8月4日)。

ケルシーは薬理学者でした。そうした彼女の目には、ケバドンの申請資料は「安全性を示す動物実験が不十分に見えた」。そこで「追加データを求め、承認を保留にした」のです。(「」内引用、朝日新聞記事:1994年11月1日付け)

つまり、最初にケルシーが指摘したのは、安全性を示す動物実験が不十分だったことにあります。そしてその後、多発神経炎の記事を読んで、催奇形性に注目したというのが真相のようです。

ケルシー博士(米国FDA)、米国内でのサリドマイド発売を阻止する

サリドマイド胎芽病

サリドマイド胎芽病とは、サリドマイドを妊娠初期の母親が服用することによって、胎児(正確には胎芽:週齢で3~7週)に生じる障害(奇形)のことを言います。つまり、サリドマイドには催奇形性があります。

サリドマイドによる障害(奇形)の種類としては、四肢の短縮(アザラシ肢症 ― フォコメリア)がよく知られています。ただし、場合によっては、四肢よりも耳の障害が強く出ることもあります。また、障害は内臓まで及ぶことも見逃せません。

なお世界的に見ても、その当時、新薬の催奇形性試験が〈義務〉付けられていなかったことは確かです。しかしながら、ある種の薬物などに催奇形性があることは当時から既に世界的な常識でした。

したがって、サリドマイドを妊婦にも安全だとして宣伝していた以上は、当時の世界的な学問水準に基づいて、サリドマイド発売前の催奇形性試験は必須だったと言えるでしょう。

サリドマイド胎芽病と催奇形性
サリドマイド製剤の催奇形性の強さ(コンテルガン、イソミンそしてプロバンM)

サリドマイド仮説の証明

「サリドマイド胎芽病の原因はサリドマイドにある」とするサリドマイド仮説の最も重要な論拠は次の二つです。そして、それらを裏付ける数多くの資料によって、サリドマイド仮説は証明されたと言えます。

1)「奇形児と非奇形児の間で統計的にもっとも差のある因子は、妊娠初期におけるサリドマイドの服用である。すなわち、前者の母親には、妊娠初期にサリドマイドをのんだ確証のあるものが多いのに対して、後者の母親にはそれが少ない(レンツ博士)」。(増山編1971,吉村pp.233-234)

レンツ警告2/3(疫学の考え方、四分表(2✕2表)を理解する)

2)サリドマイド児の発生数は、サリドマイドの売り上げ増加に伴って上昇した。そして逆に、売り上げ低下とともに減少した。全てのサリドマイドが回収されて以降、再び同様の奇形を見ることはなかった。なお、サリドマイド未発売国における同様の奇形は、治験薬によるものなどが少数例あるのみである。

サリドマイド使用量の推移とサリドマイド胎芽病の増減には相関関係がある
サリドマイド販売量をサリドマイドの新聞広告スペース量で推測することはできない
レンツ警告以降もイソミンの販売量が減少することはなかった

全世界の生存者は、5,850名(死亡率40%)と推定されています。なお、日本での認定患者(生存者)は309名です。

サリドマイドの作用の一つに、TNF-α(腫瘍壊死因子アルファ:サイトカインの一種)の抑制作用があります。つまり、サリドマイドは、TNF-αの免疫系内での合成を選択的に抑制する作用を持っています。

そのTNF-αには血管新生作用があります。

したがって、サリドマイドによってTNF-αの合成が抑制されるということは、血管新生作用が抑制されることを意味します。つまり、例えば四肢に育つ組織に血管が作られず、手足の正常な形成が阻害されてしまうことになります。

サリドマイドの血管新生抑制作用と不斉合成

なお、サリドマイドを服用した本人に生じる重大な副作用としては、多発神経炎が知られています。

日本のサリドマイド裁判、そして「いしずえ」

日本のサリドマイド裁判(民事訴訟)は、1963年6月28日(昭和38)、被害者家族が大日本製薬(株)を相手に、損害賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴したことに始まります。そしてその後、京都(1964年12月)、東京(1965年11月)などが続き全国で8地裁となりました。

当初は、各地域ごとの訴訟団の連絡はなかったものの、間もなく各弁護団、原告団の連絡組織が作られ、東京が中心となってリーディングケースとして訴訟を進めることになりました。(1971年11月には、全国サリドマイド訴訟統一原告団(45家族)結成)

日本でも民事訴訟始まる

東京地裁に提訴以来、約5年をかけた準備手続は1970年11月に終結しました。そしてそれを受けて、証人尋問(原告側・被告側)が、1971年2月から1973年12月まで約3年にわたって行われました。そして被告側は、1973年12月14日(昭和48)、因果関係と責任を全面的に認め、正式に和解申入れを行いました。

サリドマイド訴訟(因果関係・責任論・損害)

和解交渉の末、一時金、年金(物価スライド制)に加えて、財団法人サリドマイド福祉センター(仮称)の設立が決定しました。それは間もなく、財団法人「いしずえ」として設立が許可されることになります。

「いしずえ」の取り組みとして、「サリドマイド被害者の健康管理と福祉の増進、被害者の交流、薬害防止等に関する事業」(いしずえWebホームページ)が挙げられています。その中で、薬害防止などに関する事業については、サリドマイド復活問題、学校教育への協力、他団体との交流・連携が挙げられています。

サリドマイド被害者のための福祉センター「いしずえ」

サリドマイドの復権

1964年(昭和39)、全くの偶然からエルサレム・ハンセン病病院(ヤコブ・シェスキン院長)で、サリドマイドがハンセン病患者に多発する難治性の皮膚炎(結節性紅斑)に劇的に効くことが確かめられました。

その後の研究によって、サリドマイドはステロイドを上回る効能・効果(免疫抑制作用、抗炎症作用)を有する薬剤として臨床応用が進んでいます。

そしてついに日本でも、2009年2月(平成21)、サリドマイド製剤の販売が再開されました(効能・効果は再発又は難治性の多発性骨髄腫)。さらにその後、らい性結節性紅斑に対する「効能・効果」及び「用法・用量」が追加承認されました。(藤本製薬(株)のサレドカプセル)

サリドマイドの復権(日本の場合)

また基礎研究分野では、例えば東京工業大学は、2010年3月8日(平成22)、「サリドマイド催奇性における主要な原因標的タンパク質を同定」したことを公表しました。これによって、催奇性を軽減させたより優れた新薬開発への道が開かれたことになります。

さらに大阪大学は、2016年9月8日(平成28)、「レナリドミド(サリドマイド誘導体)による抗炎症作用のメカニズムを解明することに成功」したと発表しました。今後、炎症性自己免疫疾患(関節リウマチなど)にいかに応用していくか注目されます。

いずれにしても、今後研究を進める上で、徹底した副作用対策(多発神経炎や胎芽病)が欠かせないのは言うまでもありません。

サリドマイド事件(半世紀後の今)

サリドマイド事件から半世紀以上が経過しました。その間、2005年(平成17)までに、日本での認定患者309名のうち12名の方が既に亡くなっているそうです。その原因は、交通事故や肝障害、心不全、突然死、心の病など多岐にわたっています。

また、患者が年齢を重ねるごとに、四肢・耳などの障害による日常生活動作の不自由さや、内臓まで障害が及んでいることによる健康不安が高まっています。

サリドマイド事件は決してまだ終わってはいません。

参考資料

サリドマイド事件(年表)
サリドマイド事件(参考文献一覧)

『サリドマイド事件(第4版)』アマゾンKindle版(2020/05/20)を出版しました。

今日現在(2020/05/21)は、当Webとほぼ同一の内容になっています。当Webは頻回にブラッシュアップしており、それらを反映したマイナーチェンジ版を随時出版しています(日付もそれに合わせて表示しています)。

なお、今まで大きな改訂(版の改訂)を行った場合でも、アマゾンの書籍コード(10桁のASIN)は一度も変更していません。したがって、既にご購入済みの方でも、必要に応じてすぐに入れ替えてお読みいただけるはずです。

注)今回ストアにアップされたと連絡メールが来たのは、2020/05/21 20:38になります。⇒再確認:第4版(2020/05/20)です。

関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第4版)』
世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか

www.amazon.co.jp/ebook/dp/B00V2CRN9G/
2015年3月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)

本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと・あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2020年4月(令和2)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)