サリドマイド事件

日本のサリドマイド事件の特長(回避できたはずの症例、生まれたはずの症例)

投稿日:2018年6月10日 更新日:

レンツ警告(1961年11月)を受けて、欧米先進国における回収作業は、少なくとも同年12月末までには終了したものと思われる。

それに対して日本では、レンツ警告が出されてから販売中止(回収)決定(1962年9月)まで、およそ10か月もかかってしまった。

回避できたはずの症例

遅かった回収決定、進まぬ回収作業

日本におけるサリドマイド回収の決定は、欧米先進国に比べて大幅な遅れをとってしまった。

さらに、サリドマイド製剤(5社)の回収措置は十分ではなく、薬局の店頭でその後も自由に入手できた。そのため、例えば北海道庁からは、同年末(12月20日)になって回収をうながす通達が改めて出されたほどであった。

こうして、サリドマイド製剤の回収がほぼ完了するのは、それからさらに約半年後の1963年3月ごろである。

ただし、全てのサリドマイドの回収作業が完全に終わったのは、1963年半ばから末ごろとする報告もある。(栢森1997,p.9)

また、回収作業自体が徹底したものではなく、中には「10年後の1971年までサリドマイドが回収されずに残っていた病院もあったという」。(津田2003,p.87)

いずれにしても、日本での回収決定とそれに続く回収作業が大幅に遅れた間にも被害は拡大していった。

レンツ警告後の患者数は、日本が世界で一番多い

胎児(胎芽)がサリドマイドの影響を受けてから生まれるまで、最大で約8か月である。

そこでもし仮に、サリドマイドの全面回収が、レンツ警告(1961年11月)が出された年の間に完了したとするならば、1962年9月以降サリドマイド胎芽症が発症することはなかったと考えられる。

ところが、梶井データ(日本人データ)では、1962年9月以降の発症数(死産を含む)の比率は、全体の約43.9%にもなる。また、栢森によれば、日本では「1962年9月以降に生まれたサリドマイド児が100名ほど」いるという。生存者の数のことであろう。栢森(1997,p.42)

もしも、回収作業が速やかに行われておれば、日本のサリドマイド児の約1/3あるいは半数近くは、障害を持って生まれることはなかったと考えられる。つまり、回避できたはずの症例がそれだけ多いということになる。

レンツ警告後の患者数は、日本が世界で一番多い。

生まれたはずの症例

日本では生存率が低く軽症例が多い

サリドマイド胎芽症の生存率は、レンツ文献(栢森1997,p.41)では約60%としている。それに対して、日本先天異常学会のデータでは、各年ごとの生存率が20%前後と非常に低い点が気になる。

日本におけるサリドマイド胎芽症の発症数(死亡例を含む)は、レンツ・中森による「各国のサリドマイド被害発生状況」によれば、約1,200名である。このうち、認定患者数(生存者)は309名である。したがって、生存率は309/約1200=約25%ということになる。(高野1981,p.125)

日本先天異常学会のデータ同様、日本での生存率は諸外国と比べて異常に低いと言えるだろう。また、日本では下肢に関する症例が極めて少ない、逆に言うと、比較的軽症例が多いとされている。

『サリドマイド胎芽病診療 Q&A』(2014年)では、上肢低形成型のうち下肢低形成合併例が3名あり、「うち1名が重度低形成で移動には車椅子が必要」としている。つまり、下肢に障害があるのは309例中3例のみと読み取れる。この比率は諸外国に比べて極端に低い数値と思われる。

佐藤嗣道(自身もサリドマイド被害者)は、生まれたはずの患者が「死産扱いとして処置」されたケースがあることを指摘している。痛ましいことである。(ビジランス1999,佐藤p.39)

日本におけるサリドマイド被害者数

認定患者数309人(いしずえ)

「財団法人いしずえ」のホームページを確認(2013/01/24閲覧)すると、「サリドマイドと薬害」のページに、「日本におけるサリドマイド被害者の出生年と男女別」が示されている。

内訳は以下のとおりである。(総合計309人)

1959年生(男6、女6)、1960年(同16、同9)、1961年(34、24)、1962年(88、74)、1963年(24、23)、1964年(2、2)、1969年(1、0)、合計(男171、女138)。

これをみると、イソミン発売(1958年1月)の翌年に最初の被害児が生まれている。そして、その後年々増加傾向を示し、レンツ警告の翌年(1962年)には前年比3倍近くに急増してピークに達する。その翌年の1963年には、前年(ピーク時)の1/3弱に急減して一応の終息をみている。

しかしながら、その翌年1964年も発症があり、最後の被害児が生まれたのは、それからさらに5年後の1969年(昭和44)である。

1969年の1例は、「母親が妊娠中に不眠のため、娘時代に購入し保存してあったイソミンを服用」したもので、「(その後)保存してあった空き箱を提出した。現地調査を行ない、その背景が認められた」。(木田1982,p.162)

認定患者309人以外に被害児はいるのか

日本のサリドマイド裁判(民事)では、1974年10月(昭和49)中に全国8地裁で順次和解が成立した。対象となったのは63家族である。

その後、和解確認書の覚書に従って、訴訟を提起しなかった被害児に対する認定作業が順次行われた。そして最終的には、1981年5月(昭和56)、生存被害児309人が確定して現在に至っている。

ただし、川俣修壽(サリドマイド事件支援者)は、「諸般の事情で申請しなかった、申請制度を知らなかった、耳の障害と母指球筋低形成などの被害者は、サリドマイド被害者だと気づいていない家族がいる可能性があるので、これがこの時点での生存被害者の全てではない」としている。(川俣2010,p.435)

関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第3版)』
世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか
加筆修正⇒2019年10月12日(第3版発行)

www.amazon.co.jp/ebook/dp/B00V2CRN9G/
2015年3月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)

『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと・あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2019年5月(令和1)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)

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