日本におけるサリドマイド被害児数(梶井データ/いしずえデータ)
POD版、Kindle版共に、Web版よりもきちんとまとまっています。(図版も入っています)
Web版の方が分量の多い箇所も、一部あります。ただし、Web版は全て〈参考資料〉の位置付けです。このWebをご覧いただく際には、〈未完成原稿〉であることをご了解くださいますようお願いいたします。
日本におけるサリドマイド胎芽症の出生頻度(梶井データ)
梶井正(当時、ジュネーブ大学助教授)は、日本のサリドマイド裁判で原告側証人として出廷している(1971年10月、東京地裁)。
その時の尋問で取り上げられた資料の一つに、「甲一二九号証の一」がある。梶井が自ら作成した資料である。(藤木&木田1974,梶井証言p.166)
私なりに、出生児数の部分(棒グラフ)を取り出して、「サリドマイド胎芽症の出生頻度を示すヒストグラム(180例)」として以下のようにまとめてみた。なお、元データそのものが、発症数(死産も含む)を4か月ごとに集計したものとなっている。
注)アマゾンKindle版には図表が入っています。
症例数は180例で、ランセット投稿(7症例)後の自験例に加えて、全国の大学へのアンケート結果や文献から収集したものである。なお、生年月日を付き合わせることによって、重複例を除去している。
梶井は、できる限り患者及び両親のところに自ら出かけて行き、詳しい聞取り調査を行なっている。北海道内はもちろんのこと、本州の事例についても出張の都度可能な限りの調査をしている。梶井の臨床家としての資質、真摯な調査態度によってデータの正確性が高められている。
1962年1月以降にサリドマイドを服用した母親から生まれた患者数は全体の約43.9%に達している
梶井データからは次のようなことが分かる。
- 初めての発症例は、「1959年9~12月」にある。
⇒イソミンの発売は1958年1月(昭和33)だが、それから1年半以上発症例は無かった。
。 - 発症数のピークは、「1962年9~12月」にある。
⇒レンツ警告(1961年11月)の翌年、「1962年1~4月」に最も多くの妊婦がサリドマイドを服用した。
⇒レンツ警告に対して、何の措置も取ることなく被害を拡大させた。 - 「1963年1~4月」の発症数は、その前の4か月(ピーク時)の1/3まで減少している。
⇒出荷中止(1962年5月)以降、サリドマイドを服用した妊婦の数は大幅に減少した。
⇒町の薬局の在庫量が減ってきたためとも考えられる。 - 回収決定(1962年9月)の翌年、「1963年5~8月」以降及び1966年の発症例が確認されている。
⇒回収作業そのものが徹底していなかったため、その後も継続して被害が生じた。
結論として、「1962年9~12月」以降の生まれ、つまり、「1962年1~4月」以降にサリドマイド製剤を服用した母親から生まれた患者数は、全体の43.9%に達している。
日本におけるサリドマイド被害者の出生年と男女別(いしずえ)
認定患者数(いしずえ)は309人である
「財団法人いしずえ」のホームページを確認(2013/01/24閲覧)すると、「サリドマイドと薬害」のページに、「日本におけるサリドマイド被害者の出生年と男女別」の表が示されている。私なりにそれをグラフ化して以下のようにまとめてみた。
注)アマゾンKindle版には図表が入っています。
年ごとの内訳は以下のとおりである。なお、対前年増加率を付記した。
- 1959年生(男6、女6)12、対前年増加率(-)
- 1960年生(男16、女9)25、対前年増加率(208.3%)
- 1961年生(男34、女24)58、対前年増加率(232.0%)
- 1962年生(男88、女74)162、対前年増加率(279.3%)
- 1963年生(男24、女23)47、対前年増加率(29.0%)
- 1964年生(男2、女2)4、対前年増加率(-)
- 1969年生(男1、女0)1、対前年増加率(-)
合計309(男171、女138)
1959年:イソミン発売の翌年、最初の被害児が生まれている
- 1960年・1961年は年ごとに倍以上増加して、レンツ警告の翌年(1962年)ピークに達する。
- その傾向は、大日本製薬(株)が公表しているイソミン販売量の増加傾向(年率)とほぼ一致している。⇒(イソミン販売量が大日本製薬(株)から公表されている)
1962年:レンツ警告の翌年、ピークに達している
- 1962年生のサリドマイド児の母親がサリドマイドを服用した時期は、おおまかには1961年5月~1962年4月と考えられる。
- サリドマイドの販売錠数(年間合計)は1961年がピークとなっている。したがって、1961年5月~12月(8か月)にサリドマイドを服用した母親の数は非常に多かったと考えられる。
- レンツ警告(1961年11月)の年に販売を中止しておれば、1962年1月~4月(4か月)の服用は避けられたことになる。つまり、1962年9月~12月(4か月)のサリドマイド児出生はなかったはずである。
1963年:前年(ピーク時)の1/3以下に急減して一応の終息をみている
- 1963年生のサリドマイド児の母親がサリドマイドを服用した時期は、おおまかには1962年5月~1963年4月と考えられる。
- 出荷中止(1962年5月)及び販売中止(1962年9月)によって、サリドマイドを服用した母親が減少した結果、サリドマイド児は減少したと考えられる。
- しかしながら中には、販売中止以降に販売されたサリドマイド製剤(1962年9月~1963年4月)で被害に会った患者がいた可能性もある。さらには、家庭内で手持ちしていた残薬によるものもあるだろう。
1964年:少数例ながら発症がある
- 1964年生のサリドマイド児の母親がサリドマイドを服用した時期は、おおまかには1963年5月~1964年4月と考えられる。
- その間の服用が、新たに薬局で購入したものか家庭内で手持ちしていた残薬によるものかは分からない。
1969年:それからさらに5年後、最後の被害児が生まれた
- 1969年の1例は、「母親が妊娠中に不眠のため、娘時代に購入し保存してあったイソミンを服用」したもので、「(その後)保存してあった空き箱を提出した。現地調査を行ない、その背景が認められた」。(木田1982,p.162)
1962年9月以降の生まれが100人いる
“いしずえ”データによれば、1962年生まれのサリドマイド児の数が一番多くなっている(前年比279.3%)。
この母親たちがサリドマイドを服用した時期は、おおまかには1961年5月~1962年4月である。つまり、1961年5月ごろから1962年4月(あるいは5月の出荷中止)にかけての約1年間、サリドマイド販売量はピークに達したと考えられる。
ところで、栢森良二(帝京大学医学部)は、「1962年9月以降に生まれたサリドマイド児が100名ほど」いるとしている。(栢森1997,p.42)
もしもこの数字が、“日本の認定患者309名中の100名ほどは1962年9月以降に生まれた”ということであれば、その比率は全体の約1/3ということになる。
またこの数値から、「1962年9月~12月」(4か月間)に生まれたサリドマイド児の数、言い換えると、「1962年1月~4月」(4か月間)にサリドマイド製剤を服用した母親の数を計算すると以下のようになる。
100人(1962年9月以降の生まれ)-(1963年生47+1964年生4+1969年生1)=48人であり、これは、1962年生162人中の29.6%を占めている。
つまり、「1962年1月~4月」(4か月間)にサリドマイド製剤を服用した母親の数(48人)は、「1961年5月~1962年4月」(12か月間)のうちの4か月分平均(54人)よりも多少ではあるが少なくなっている(有意差があるかどうかは不明)。
これに対して、上記梶井データでは、「1962年1月~4月」(4か月間)に服用した母親の数が一番多いとしている。梶井データは4か月ごとの集計であり、いしずえデータ(1年ごと集計)よりも細かい変化を正確に捉えていると考えられる。
両者を合わせ考えれば、日本国内でサリドマイドを服用した母親の数は、「1961年春から1962年5月(出荷停止)にかけてピーク状態を維持していた」ことは間違いない。
関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)
1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
⇒サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第7版)』
世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか(図表も入っています)
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2015年3月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)
2021年08月25日(第5版発行)
2022年03月10日(第6版発行)
2023年02月20日(第7版発行)、最新刷(2023/02/25)本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。
Web管理人
山本明正(やまもと あきまさ)
1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年1月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)