自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM(朝日新聞スクープ)
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Web版の方が分量の多い箇所も、一部あります。ただし、Web版は全て〈参考資料〉の位置付けです。このWebをご覧いただく際には、〈未完成原稿〉であることをご了解くださいますようお願いいたします。
はじめに
日本国内で、大日本製薬(株)がサリドマイド製剤の出荷中止(1962年5月)を決めた時、既にレンツ警告(1961年11月)から約半年が経過していた。
この出荷中止決定を伝えたのが、朝日新聞夕刊スクープである。
ところが、この時の続報記事(翌日朝刊)では、「日本にはサリドマイド児は存在しない」ことにされてしまった。こうして、出荷停止の措置は取られたものの、既に出荷された商品は回収されることなく、そのまま薬局で売られ続けた。当然被害は拡大し続けた。
イソミン出荷中止、朝日新聞夕刊スクープ(1962/05/17)
日本国内で、大日本製薬(株)がサリドマイド製剤の出荷中止(1962年5月)を決めた時、既にレンツ警告(1961年11月)から約半年が経過していた。
この出荷中止決定を伝えたのが、朝日新聞夕刊スクープである。
ところが、この時の続報記事(翌日の朝日新聞朝刊)では、「日本にはサリドマイド児は存在しない」ことにされてしまった。こうして、出荷停止の措置は取られたものの、既に出荷された商品は回収されることなく、そのまま薬局で売られ続けた。当然被害は拡大し続けた。
レンツ警告後、日本国内でサリドマイド製剤に関する報道は一切なかった
西ドイツのサリドマイド製剤(コンテルガン)の製造販売元はグリュネンタール社である。同社が、コンテルガンの販売中止を決定したというニュースは、1961年11月25日(昭和36)、UPI通信を通じて全世界に流された。
なお、この報道はその後すぐに誤報として取り消されたものの、翌日には、西ドイツの新聞に特ダネ「薬剤による奇形:世界的に流通している薬に疑惑あり」が掲載された。これらを受けて、グリュネンタール社は直ちにコンテルガンの販売中止(及び回収)を決定した。
ところが、そうした情報に反応した日本国内の報道機関は一社もなかった。朝日新聞社では、西ドイツのボン特派員が「レンツ警告に関する第一報を日本に送った」という。しかし、記事にはならなかった。
朝日新聞社では、翌年1962年2月末になって、サリドマイドに関する特別体制を組んで厚生省や学者に対する取材を開始した。
当時の厚生省製薬課長の証言(サリドマイド裁判)によれば、この朝日の動きが「出荷中止」を決定する遠因(圧力)になったことは間違いない。(藤木&木田1974,平瀬証言pp.250-253)
「Time誌」アジア版(1962年2月23日号)睡眠薬の悪夢
朝日がサリドマイドに関する特別取材体制を組むきっかけとなったのは、「Time誌」アジア版(1962年2月23日号)「Sleeping Pill Nightmare(睡眠薬の悪夢)」を見た読者からの投書だとされている。
インターネットで「Time誌」のバックナンバーを検索(2015/01/15閲覧)すると、「HEALTH MEDICINE」欄のMedicineの項に"Sleeping Pill Nightmare(睡眠薬の悪夢)"という記事が載っている。
なお、この号の表紙を飾ったのは、松下幸之助(松下電器産業(株)会長)だった。
注)いしずえ1984(年表p.118)には、「1962年2月22日 タイム紙、サリドマイド禍の記事を掲載」(原文のママ)とある。
注)戦後のタイム誌に掲載(表紙)された日本人は数少ない。最近では、麻原彰晃(1995年4月3日号、地下鉄サリン事件など)や錦織圭(January 19, 2015 Vol.185, No.1、男子プロテニス選手)がいる。
日本医師会雑誌「海外短信」でコンテルガンについて伝える
そうした中で、日本語で書かれた最も早いサリドマイド製剤の副作用情報は、『日本医師会雑誌』1962年3月15日号の「海外短信」と思われる。そこでは、西ドイツにおける多発神経炎や催奇形性といった副作用について紹介している。
しかし、それはあくまでも「(西ドイツの)睡眠剤コンテルガン(N-フタリル-グルタミン酸イミド)の副作用」としてである。つまり、海外トピックスとして扱われているに過ぎず、サリドマイドという言葉もここでは使われていない。(同雑誌,p.662)
したがって、同雑誌の読者である医師でさえ、日本国内のサリドマイド製剤(イソミン、プロバンMなど)とそれらの副作用を結び付けて考えることはほとんどなかったと思われる。
レンツ警告から半年後、日本国内のサリドマイド製剤出荷中止となる
日本では、レンツ警告から約半年が経過して、やっとサリドマイド製剤が出荷停止となった。大日本製薬(株)から厚生省に対して、1962年5月、イソミンとプロバンMの自主的な出荷中止を申し入れたのである。
それをスクープしたのが、朝日新聞夕刊記事(1962年5月17日付け)である。
朝日新聞記事によれば、「(大日本製薬では)昨年暮、西独の新聞で問題になってからすぐ会社としても検討をはじめたが、ともかく影響が非常に大きいので異例の出荷中止措置にふみ切った」という。
そして、「これが、わが国でのサリドマイド事件の第一報」となった(柴田1994,p.10)。さらには、後に東京地方裁判所に対して「とりあえず時効中断手続きをとる」ための基準(3年)とされた。
そうした重要事項であるにもかかわらず、木田盈四郎(帝京大学医学部教授)は、「5月12日、大日本製薬は、西ドイツなどのすべての資料を検討して、独自に、サリドマイド剤のイソミンとプロバンMを一時的に出荷停止にしている。この時も日本の新聞は記事にしなかった」と書いている。(木田1982,p.142)
つまり、朝日新聞スクープ自体を無かったことにしている。その上、日付まで間違えている。
木田は、1971年4月27日(昭和46)、日本のサリドマイド裁判で原告側の証言として出廷している。それがなぜこのような文章になっているのか、不可解である。
スクープ記事では「出荷中止」ではなく「販売中止」とはっきり書かれていた!?
朝日新聞夕刊スクープ(自主的に出荷中止)について、柴田鉄治(朝日新聞社)は後に振り返って次のように述べている。(柴田1994,p.10)
「1962年(昭和37)5月17日の朝日新聞夕刊最終版に、社会面四段抜きのこんな特ダネ記事が載った。
「自主的に販売中止/イソミンとプロバンM」
これが、わが国でのサリドマイド事件の第一報だった」
さらに続けて柴田は、「夕刊の第一報について、「販売中止」は、じつは「出荷一時中止」であり」としている。つまり、夕刊スクープの「販売中止」は誤報であり、正しくは「出荷中止」であったことを認めている。(柴田1994,p.11)
誤報の事実を確認するため、私が朝日新聞の縮刷版(広島県立図書館蔵)を調べたところ、5月17日付け夕刊第7面(第3版)に、「自主的に出荷中止、イソミンとプロバンM」の記事(5段抜き)を見つけた(2013年1月閲覧)。
あくまでも「出荷中止」である。「販売中止」の第一報(誤報)は、朝日新聞社の公式資料としては残されていないのだろうか。私にはよくは分からない。なお、川俣修壽は、「販売中止」と「出荷中止」の違いについて、「宮武の抗議もあって訂正した」としている。川俣(2010,pp.56-57)
宮武徳次郎(大日本製薬株式会社・社長)
宮武徳次郎社長は、サリドマイド事件の当事者である大日本製薬(株)の最高責任者であった。つまり、被害者及びその家族とは相争う立場にあった。
しかしながら、裁判和解後、サリドマイド被害者のための福祉センター「いしずえ」設立と同時に、彼は同センター理事に就任した。そして、いしずえ10周年記念誌「いしずえ10年のあゆみ」(1984年)発刊に寄せて、理事の一人として「お祝いのことば」を述べている(当時、同社取締役会長)。(いしずえ1984,p.11)
宮武は、昭和52年(1977年)春の叙勲で藍綬褒章を受章した。長年医薬品業界の発展に尽くした、というのが受章理由である。ただし、被害者及び家族にしてみれば、複雑な気持ちであっただろう。(川俣2010,pp.441-442)
『塩野孝太郎 ― 人と思想』塩野義製薬株式会社(1990年刊)の巻頭写真集の中に、「道修町首脳のご夫妻と」(昭和40年)という写真がある。
そこには、大阪の道修町御三家(武田、塩野義、田辺)をはじめとするご夫妻が一緒に写っている。前列に和服のご婦人方(6名)が横一列に正座して並び、その後ろに男性陣(6名)が並んで立っている。そうした中で、宮武一人がご婦人方の真ん中に陣取って座り、存在感を示している。(道修町御三家:どしょうまち・ごさんけ)
イソミン問題の背景(朝日新聞の続報記事)
西独で奇形児が急増、同系薬の副作用説出る(西ドイツからの報告)
朝日新聞夕刊スクープ「自主的に出荷中止」の翌日、朝日新聞朝刊に「イソミン問題の背景」と題する記事が掲載された。本文を書いたのは、朝日新聞のボン(西ドイツ)支局長である。
見出しには、「西独で奇形児が急増、同系薬の副作用説出る」とあり、コンテルガン錠をめぐるグリュネンタール社やレンツ博士などの動きについて詳しく解説している。
既に述べたように、西ドイツからの第一報(レンツ警告及び販売中止)は記事にならなかった。
このスクープ掲載記事は、第一報後の経緯を踏まえて改めて書かれた記事を、「自主的に出荷中止」のスクープにぶつけて掲載したものである。上記特別取材チームの依頼によって事前に用意されていたのであろう。
悪影響の実例、日本ではない(宮木高明・千葉大学薬学部教授)
同記事には、「悪影響の実例、日本ではない」とする宮木高明(千葉大学薬学部教授)の長いコメントが付いている。その一部を抜き出してみよう。(以下、「」内引用)
- 「三カ月ほど以前にこちらでも情報を得ていた」
- 「あまりにも意外な作用であるし、何か統計的な推定のようで、一がいに受け入れにくかった」
- 「実験証明をにぎらないかぎり即断はゆるされない」
- 「今日までわが国ではまったくそのような悪影響を見ていない」
- 「妊娠中の婦人で睡眠薬を使用された方はけっして心配することはないと思う」
朝日新聞記事は、日本国内のサリドマイド児の存在を否定した
宮木は、統計学(疫学)に何の理解を示すこと無く、一方的に「心配することはない」と断言した。つまり、この続報記事「イソミン問題の背景」では、日本にはサリドマイド児は存在しないことにされたのである。
朝日新聞社は、このスクープ(出荷中止)までの3か月ほどの取材活動で、日本国内におけるサリドマイド児発生の現状について、何らかの情報をつかんでいたはずである。
しかし、記事にはしなかった。そしてその間にも、多くの人々がサリドマイド製剤を服用し、多くのサリドマイド児が生まれた。
出荷停止はするが、販売は続けるように(大日本製薬(株)社長指示)
続報記事「イソミン問題の背景」には、宮武徳次郎社長(大日本製薬(株))の話として、「イソミンが今後も薬局で売られることは差支えないし、動物実験の結果が良ければ、再び売出す考えだ」とするコメントも載っている。
実際に同社長は、販売店宛ての手紙で「出荷停止はするが、販売は続けるように」と書いている。(栢森1997,p.43)
こうして、出荷停止の措置は取られたものの、既に出荷された商品は回収されることなく、その後も薬局で売られ続けた。
国内ではまだ患者についての報告が一件もない(厚生省通達)
日本にはサリドマイド児は存在しない
厚生省(当時)は、西ドイツ(当時)におけるサリドマイド被害について、大日本製薬(株)から資料を入手していた。しかしながら、それらの資料を公にすることはなかった。
厚生省は、国内でサリドマイド製剤の自主的出荷中止が決定した1週間後(1962年5月25日)、各都道府県薬務課宛に「サリドマイド製剤について」という通達を出した。(藤木&木田1974,平瀬証言,p.265-266、木田1982,p.142)
通達の内容は、「薬局では妊婦には売らないように」というものであった。しかしながら、基本的には、「国内ではまだ患者についての報告が一件もない」とされていたのである。
レンツ警告から約半年もの間、厚生省と大日本製薬(株)は、日本国内でのサリドマイド被害について全く何の手掛かりも得ていなかったのであろうか。あるいは、レンツ警告以前のことである「東京都立築地産院におけるサリドマイド児3例」(後述)の情報はどこに行ってしまったのだろうか。
厚生省通達(薬局では妊婦には売らないように)
従って現在では妊娠初期の婦人がサリドマイド製剤を服用すれば奇形児を出産するという結論を下すには根拠薄弱であって、目下西独及び日本において研究が行われている状況である。よって前記のサリドマイド製剤製造業者の自主的措置は本問題について何らかの結論が得られるまでの間の慎重を期するためにとられたものであるから了知されたい。
(通達末尾の文章)
通達の意義について、それを出した厚生省の課長は、サリドマイド裁判で次のように証言している。
日本のサリドマイド裁判
最近、西ドイツとか外国の方で、サリドマイドを飲むと、奇形児が出るんじゃないかという話があるけれども、例えばサリドマイドを飲んだ人から全部奇形児が出ておるわけでもないし、サリドマイドを飲まなくても奇形児が出る場合もあるし、学問的な根拠はないけれども、一応現段階では妊婦は服用を避ける方が望ましいということにしたい。出荷停止は念のためにやるんだという通達であった。
(元厚生省課長の証言)
厚生省では、レンツ警告の意義、すなわち「疫学調査とその統計学的な処理及び具体的な対策」について、結局何の理解も示すことはなかった。
疑わしきは直ちに回収すべきであった
サリドマイドの影響が出るのは妊娠初期である。つまり、妊娠したかどうかはっきりしない時期である。したがって、通達だけで効果が上がるかどうかは疑問が残る。
妊婦対策として最も簡単で確実な方法は、サリドマイド製剤をすみやかに回収することにつきる。そうすれば、妊婦が服用することは絶対に無くなる。なお、ここで回収の対象とすべきは、市場の製品はもちろんのこと、家庭内の薬箱に眠っている薬剤も同様であることは言うまでもない。
西ドイツでは、販売中止(回収決定)直後に、内務省がラジオなどを通じて、コンテルガンを服用しないように、家庭内のコンテルガンを全て一箱残らず破棄するように、国民に呼び掛けたという。残薬の処理を徹底したわけである。
こうした西ドイツ当局の動きについて、当時の製薬課長(厚生省)は、「聞いておりません」と証言している。(藤木&木田1974,平瀬証言p.260)
参考URL
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1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
⇒サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
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2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)
2021年08月25日(第5版発行)
2022年03月10日(第6版発行)
2023年02月20日(第7版発行)、最新刷(2023/02/25)本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。
Web管理人
山本明正(やまもと あきまさ)
1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年1月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)