日本にもサリドマイド児・梶井正博士(読売新聞スクープ)

2022年4月17日

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POD版、Kindle版共に、Web版よりもきちんとまとまっています。(図版も入っています)

Web版の方が分量の多い箇所も、一部あります。ただし、Web版は全て〈参考資料〉の位置付けです。このWebをご覧いただく際には、〈未完成原稿〉であることをご了解くださいますようお願いいたします。

はじめに

日本国内で、サリドマイド児の存在を初めて明らかにしたのは、梶井正博士(北海道大学医学部)である。

梶井データを伝える読売新聞スクープ「日本にも睡眠薬の脅威」(1962年8月28日付け)によって、日本国内のサリドマイド問題は一気にクローズアップされることになった。

そしてその2週間後(9月13日)、大日本製薬(株)はイソミンとプロバンMの販売中止(及び回収)に踏み切った。レンツ警告(1961年11月)から遅れること約10か月後のことであった。

梶井正講師、ランセット投稿論文脱稿(1962年6月末)

日本国内で、サリドマイド児の存在を初めて明らかにしたのは、梶井正博士(北海道大学医学部小児科講師)である。

梶井は、日本のサリドマイド児に関する論文を、いきなり英国の医学雑誌「The Lancet(ランセット)」(1962年7月21日発行)に投稿した。

同論文の趣旨は、「札幌市で特異な奇形を伴う自験例を7例持っている。そのうち5例は母親がサリドマイドを服用しており、同薬との因果関係が疑われる」というものであった。

論文投稿後、梶井はその事実を説明するため、北海道庁衛生部(係長応対)と大日本製薬株式会社(札幌支店長応対)を訪問している。しかし、両者とも全く何の措置を取ることもなかった。(藤木&木田1974,梶井証言pp.126-128)

なぜいきなり英国の医学雑誌「ランセット」に投稿したのか

ところで、当時の日本では、ランセットはイギリスから通常船便で1~2か月かけて届く時代だった。そこでなぜいきなりランセットだったのだろうか。その理由と結果について、梶井は次のように語っている。(同上,梶井証言pp.129-131)

「この雑誌が一番早くこういう報告が載るから、世界的に信用があるからと思って書いた」。梶井の狙いどおり、レンツをはじめとするサリドマイドに関心を持つ国外の学者たちから一斉に問合せの手紙がきた。

しかし、「日本の国内ではほとんど反響がなかった」。そうした中で、後のサリドマイド裁判で重要な役割を果たすことになる松永英(国立遺伝学研究所人類遺伝部長)が、この論文で初めて梶井について知ることとなる。(増山編1971,松永pp.122-124)

松永は、この当時既にレンツの論文を読んでいたが、日本国内でもサリドマイド製剤が発売されていることを全く知らなかった。したがってその時には、日本国内のサリドマイド製剤の販売中止(及び回収決定)に何ら影響を及ぼすことはできなかった。

ところで、梶井論文に対する反応が最も早かったのは大日本製薬(株)である。最新号発売から1週間以内には、梶井のところに長距離電話をかけてきた。ただしその内容は、事の真偽をただ単に確認するためのものだった。

梶井はその後海外に転じ、スイス・ジュネーブ大学助教授やニューヨーク州立大学小児科准教授などを経て、山口大学医学部小児科教授となる。日本のサリドマイド裁判では、ジュネーブから一時帰国して出廷している。(1993年退官・名誉教授、2016年2月死去・享年85歳)

日本にも睡眠薬の脅威、読売新聞スクープ(1962/08/28)

梶井は、ランセット投稿後の8月26日、北海道の小児科学会地方会において発表を行った。

内容は、ランセット掲載論文と同じく7症例についてのものであった。これに対して、翌日、読売新聞記者の訪問を受ける。これが、さらにその次の日の読売新聞スクープとなった。

「奇形児7例のうち5人の母親が服用:札幌市内7か所の病院で最近10か月間に生まれた奇形児7例のうち5例まで母親がサリドマイドを飲んでいた」。(読売新聞記事1962年8月28日付け)

注)地方会発表(8月26日)、読売新聞スクープ(8月28日)の日付を正確に伝えている資料は極めて少ない。

さて、こうして日本にもサリドマイド児が存在することが初めて新聞で取り上げられた。朝日新聞スクープ「自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM」(1962年5月17日付け夕刊)から、さらに3か月後のことである。

なお、先の朝日新聞スクープでは、日本国内でのサリドマイド児の存在は否定されていたのである。

梶井データが読売新聞にスクープされたのをきっかけとして、日本国内のサリドマイド問題は一気にクローズアップされることになった。そして、この時になって初めて、厚生省や北海道庁薬務部から梶井に対して資料を要求してきた。(同上,梶井証言p.130)

読売新聞スクープの2週間後(9月13日)、大日本製薬(株)はイソミンとプロバンMの販売中止(及び回収)に踏み切った。レンツ警告(1961年11月)から遅れること約10か月後のことであった。注)9月18日と誤記している資料多数有り。

ところで、読売新聞スクープでは、「母親たちは妊娠初期の苦痛からのがれるためほとんどが町の薬局で買い求めていた」としている。

少なくとも日本では、サリドマイド製剤は“つわり”にもよく効く、として日常的に服用されていたものと思われる。サリドマイド裁判の証言(元大日本製薬企画室長)でも、「つわりも適応症だとパンフレットに書いていた」という。(川俣2010,p.178)

サリドマイドはヒトの感受性が極めて高い

読売新聞記事には、厚生省製薬課の技官の話として、次のようなコメントも載っている。

「(前略)サリドマイド系の取り扱いについては東京女子医大と京都大学に動物実験を依頼しているので、これらの結論をまって慎重にきめる」。小山良修教授(東京女子医大、薬理学)と西村秀雄教授(京都大学医学部、解剖学)の二人のことであり、レンツ警告後に委託したものである。

その結果は、小山データ(1962年8月ごろ)、西村データ(同年9月)共に「奇形はない」というものであった。(藤木&木田1974,平瀬証言p.254)

現在では、サリドマイドに対する感受性は種差が非常に大きく、特にヒトの感受性は極めて高いということが分かっている。⇒(催奇形に必要なサリドマイドの最低量(mg/kg))

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参考URL

関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。(アマゾンKindle版)
『サリドマイド事件(第7版)』
世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか(図表も入っています)

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2015年3月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
2016年11月5日(第2版発行)
2019年10月12日(第3版発行)
2020年05月20日(第4版発行)
2021年08月25日(第5版発行)
2022年03月10日(第6版発行)
2023年02月20日(第7版発行)、最新刷(2023/02/25)

本書は、『サリドマイド胎芽症診療ガイド2017』で参考書籍の一つに挙げられています。

Web管理人

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年1月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)