サリドマイド事件

サリドマイド使用量の推移とサリドマイド胎芽病の増減には相関関係がある

投稿日:2018年6月10日 更新日:

疫学研究によれば、サリドマイド胎芽病は、サリドマイドが販売された場所(国)と時間(期間)でのみ発生している。サリドマイド使用量の推移とサリドマイド胎芽病の増減には、少なくとも相関関係があることは間違いない。

それに加えて、四分表(2✕2表)や各種動物実験そしてヒトにおける奇形発生のルールを詳細に検討することによって、サリドマイド仮説「サリドマイド胎芽病の原因はサリドマイドに有る」(因果関係)は証明されたといえる。

サリドマイド販売量と奇形発生の関係をみたデータ

書籍「裁かれる医薬産業」収載のグラフ(西ドイツの場合)

世界で初めてサリドマイドを開発販売したのは、グリュネンタール社(西ドイツ・当時)である。西ドイツにおける奇形発生と売上高の関係をみたグラフとして、次の資料がよく使われている。

「サリドマイド型奇形の発生とサリドマイドの売上高との関係を示すグラフ(ハンブルグを除く西ドイツ全国の数値)」である(シェストレーム1973,p.168 ⇒ 転載、栢森1997,p.41など)。下図は、高野哲夫(1981,p.127)のものから引用した。

資料をみると、2本の折れ線グラフが示されている。西ドイツにおけるサリドマイドの売上高(1961年1月=100)とサリドマイド型奇形845件(1961年10月=100)の推移である。

そこでは、売上高と奇形児出生数の2本の折れ線グラフが、それぞれのピーク時の値を100%とした指数で表わされている。

ところで、妊娠初期の母親がサリドマイドを服用してから、サリドマイド児が出生するまでは約8か月である。そこで、サリドマイド製剤を購入してから服用するまでの期間を1か月と仮定すると、サリドマイド購入から約9か月後にサリドマイド児が生まれることになる。

そこで、サリドマイドの売上高の波形(1961年1月がピーク)を9か月後ろにずらしてみると、サリドマイド児の発生件数の波形(1961年10月がピーク)とぴったり重なることが分かる。

つまり、サリドマイドの売上高(総使用量)とサリドマイド児の発生件数は、約9か月のずれを持って、ほぼ同じ比率で増加・減少していることが分かる。

これによって、サリドマイド服用とサリドマイド児出生との間に相関関係があることは明らかである。

売上高と奇形児出生数の推移グラフについて詳しくみてみよう

1)「西ドイツにおけるサリドマイドの売上高」は1960年になって急激に増加している。

サリドマイドの売上高は、翌年の1961年1月、ピークに達したもののその後は急速に減少している。その原因は、副作用報告(多発神経炎)の増加にある。(増山編1971,増山pp.15-16)

実はレンツ警告(同年11月)が出たころには、売上げは既に相当落ち込んでいたことが分かる。

2)「サリドマイド児の発生件数」を見ると、コンテルガン発売(1957年10月)の1年以内に最初の症例が発生している。

発生件数は、1961年10月をピークとして急速に上昇・下降して、最後はゼロとなっている。

梶井データ(日本の場合)

梶井正(北海道大学医学部)は、サリドマイド裁判に出廷して証言をしている。そのときに証拠として提出された資料の一つが、自身で作成したデータ「甲一二九号証の一」、つまり「サリドマイド胎芽症の出生頻度を示すヒストグラム(180例)」である。(1971年10月、東京地裁)

梶井は、この一つ前の段階(160例を集積した時点)で、英語の論文を一つ書いている(Kajii,1965,Ann Paediatr)。平沢正夫(ジャーナリスト)は、この英語論文を紹介している。(平沢1965,p.192)。

図をみると、ヒストグラム(全国のサリドマイド児の出生数を示す棒グラフ)と、折れ線グラフ(北海道におけるサリドマイドの店頭販売量)が、それぞれのピーク時の値を100%として示されている。(注:データは、4か月ごとに区切って集計されている)

なおこの図では、店頭販売量(折れ線グラフ)を8か月後ろにずらして、出生数(棒グラフ)と重ねて表示している。妊娠初期の母親がサリドマイドを服用してから、サリドマイド児が生まれるまで約8か月と仮定しているのである。

改めてグラフをみると、日本におけるサリドマイド児の出生ピークは、「1962年9~12月(昭和37)」にある。

そして、そこで店頭販売量のピークと重なっている。つまり、その8か月前「1962年1~4月(昭和37)」に店頭販売量がピークになったことを示している。

そしてその後、両者はほとんど重なり合いながら、ほぼ同じ比率で減少している。

つまり、サリドマイド製剤の出荷中止(1962年5月)とそれに続く販売中止・回収決定(1962年9月)によって、サリドマイドの店頭販売量(総服用量)が減少するとともに、サリドマイド児の発生数が減少していったことを示している。

最後は当然、両者ともゼロになっている。

これによって、サリドマイド服用とサリドマイド児出生との間に、少なくとも相関関係があることは否定できない。

梶井は北海道の店頭販売データを使用している

この資料で梶井は、北海道における店頭販売量を、全国のサリドマイド販売量に置き換えて検討している。これに対して大日本製薬(株)は、「方法上の誤りがあるから無意味な分析だ」と評価していた。

しかし、吉村功(名古屋大学助教授)の分析によって、両者の間にはきれいな比例関係のあることが証明されている。(増山編1971,吉村p.256)

なお、この北海道の店頭販売データは、北海道衛生部薬務課の管轄下にある各保健所(50か所)が、薬局を訪問して販売ノートを調べて、その結果をまとめたものである。(藤木&木田1974,梶井証言p.146)

梶井は、サリドマイドに関する文献をランセットに初投稿後(1962年6月末)、北海道庁衛生部を訪問している。しかしその時は、係長が応対したものの何の措置を取ることはなかった。

北海道庁としてはその時の反省から積極的に調査に協力したのであろう。調査の信ぴょう性は高い。全国でも行われるべきものであった。

なおこの調査では、プロバンMを除く各社のサリドマイド製剤の錠数を集計している。ほとんどの製品は1錠25㎎であり、一部1錠50mgの製品があるもののその数量は無視できるほど小さい。

大日本製薬が公表したイソミン販売量と奇形児出生数

イソミン販売量が大日本製薬(株)から公表されている

吉村の論文の中に、「大日本製薬が公表したイソミン販売量と奇形児出生数」(プロバンMを除く)の表がある。(増山編1971,吉村p.243)

全国を9つの地域に分けて(北海道、東北、関東、中部、北陸、近畿、中国、四国、そして九州)、イソミン発売年の1958年(昭和33)から、回収決定の翌年1963年までの各種数字を、以下の項目ごと(年ごと)に並べたものである。

  • A=イソミン販売量(錠)
  • B=奇形発生数
  • C=出産児数
  • D=年度別奇形発生に関与したと思われる販売量(錠)
  • X=妊婦のサリドマイド服用率の推定値=D/C
  • Y=奇形発生率=B/C×100,000

イソミン販売量Aとは大日本製薬(株)からの「出荷量」のことだろうか

イソミン販売量Aとは、「大日本からの出荷量である可能性が大きい。もしそうであれば、発売前後と出荷停止前後には、特別な政策的配慮をしている可能性が大きい」。(増山編1971,吉村p.252)

つまり、発売直前には、まずはまとまった数量を卸に出荷した可能性があること、そして、出荷停止直前には、できる限りの在庫を卸に押し付けた可能性があることを示唆している。

なお、この販売量Aは、イソミンの販売量(錠数)のみであり、プロバンMなどの販売量は未公表となっている。

私なりにイソミン販売量を集計してみた

表中のイソミン販売量(地域別)を私なりに集計して全国計を算出してみた。

その結果は、1958年(4,069,824錠)、1959年(5,589,132錠)、1960年(12,845,942錠)、1961年(30,003,608錠)、1962年(14,871,632錠)となった。

イソミン発売(1958年1月)の年と比べて、その翌年1959年はわずかに増加傾向を示している。そのことから、初年度からそれなりの売上げを達成したと言えなくもない。

ただし、この販売量(錠数)が大日本製薬(株)からの出荷量とするならば(上記吉村説)、発売年には、押し込み(まとまった数量を卸に押し付けた)が行われた可能性も考えられる。

1960年、1961年と販売量は年ごとに倍以上伸びている。そして1961年にピークを迎える(前年比約2.34倍)。

1962年は、出荷中止(5月17日)をした年である。しかしながら4か月半で、ピーク時(1961年)の半分近くの販売量(錠数)となっている。ただし、最終年には最後の押し込みが行われた可能性も否定できない。

いずれにしても、イソミンの販売量(錠数)は、年ごとに倍以上の伸びを示す勢いであったことは間違いない。

私なりに奇形発生数を整理してみた

奇形発生数としては、日本先天異常学会によるアンケート調査(936症例)を採用しているようである。

私なりに地域別の症例数を年度ごとに集計して確認してみると、高野哲夫のグラフ「新聞広告とサリドマイド児発生数」で採用されている症例数とほとんど変わりはないことが分かる。そして、総計は936症例で両者一致している。

その結果を示すと、1958年73症例(高野データ76症例)、1959年63(高野61)、1960年98(高野97)、1961年149(高野153)、1962年334(高野337)、1963年219(高野212)となっている。

大日本製薬(株)の公表データは、実はサリドマイド仮説を支持している

吉村は、大日本製薬(株)から得られたデータのみを駆使して、それらの数値が持つ意味、あるいは数値の中に潜む歪みなどを徹底的に分析した。

そしてその結果、同じデータを使って行われた大日本製薬(株)や一部の学者の主張は間違いであることを証明した。

つまり、「大日本の公表したデータが、その主張と正反対に、サリドマイド仮説を支持する有力な証拠になっている」ことを示した。(増山編1971,吉村p.254)

吉村は、統計学的処理をきちんと行って再検討した結果、大日本製薬(株)や一部学者とは全く異なる結論を導き出したのである。

参考URL

関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版)

1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。
サリドマイド事件のあらまし(概要)
上記まとめ記事から各詳細ページにリンクを張っています。
(現在の詳細ページ数、20数ページ)

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『サリドマイド事件(第2版)』
世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか

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2015年3月21日(電子書籍:Amazon Kindle版)
2016年11月5日(第2版発行)

Web管理人

山本明正(やまもと・あきまさ)

1970年3月(昭和45)薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)製薬メーカー入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2019年5月(令和1)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)

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